泡沫人  ―02―





 「ウォレスさんっ! お兄ちゃんは!?」

 暗い森をただ只管に走り抜けて村に戻ってきたウォレスとゼノスを迎えたのは、隣の村の宿で待機している筈のルイセだった。森から姿を現したウォレスを見るなり、弾けるように走り寄って来る。
「…ルイセ、来てたのか…?」
「うん。何となく、何か嫌な予感が…変な魔力の波動を感じて…」
「助かった! これこそ、天の助けってやつだな。おい、ルイセ、コイツに…カーマインにヒーリングを!」
 ルイセの姿を認めたゼノスは、慌ててカーマインを背中から降ろした。
「お兄ちゃん!!」
「ちょっと、アンタ…っ」
 首筋を覆った白い布は赤く染まり、背中に負ってきたゼノスの服も鎧も血に塗れ。
 状況を見るなり、ルイセとティピは悲鳴を上げた。
「思ったよりも…傷が深い。取り合えず、カーマインが自分でキュアをかけたらしいから、勢いは収まってはいるが…」
 青ざめ泣きそうな顔で、ルイセは杖を掲げると癒しの魔法の詠唱を始め、
「ああ。一刻も早く適切な処置をしねぇとな。ヒーリングをかけたら、ルイセのテレポートで戻ろう」
 人体の持つ自己治癒能力を最大限にまで引き出す魔法が、カーマインの体から零れ行く生命を何とか繋ぎとめた。




 ルイセのテレポートで戻るなり、一番腕のいい医者のもとにカーマインは担ぎ込まれ、直ぐに彼の手術が行われた。
 処置室の赤いランプが消えるまで、ティピを含めた4人は沈痛な面持ちで長椅子に腰を降ろしていた。
「…畜生っ…なんだってあのアマ…」
 苛立たしげに立ち上がり、ウロウロと廊下を行ったり来たりするゼノスを、ウォレスが落ち着けと宥める。
「お兄ちゃん…どうしてこんな事に…?」
「森の奥で出会った少女に、いきなり切りつけられてな…まさか、カーマインもそんな事をするとは思っていなかったんだろう。相手は非力な少女だ。武装さえしていない…だから、油断していた…そういうこった」
「腑に落ちねぇ…あのアマ、変なことずっと言ってやがって…」
 壁を殴りつけそうになったゼノスがぐっと堪えるのと、赤いランプが消え、処置室から医者が出てくるのはほぼ同時だった。
「先生! お兄ちゃんは…!?」
「……傷は、治癒魔法をかけておいて下さったお陰で簡単に塞げましたが…」
 苦虫を噛み潰したように医者は顔を顰め、言葉を濁す。
「助かるのか助からねぇのか、それをハッキリさせろ」
 ウォレスが低い声で促すと、彼は一つ息を吐き、
「…かなり、危険な状態です。何しろ、失った血が多すぎる。もって一日…いや、今夜が山場です」
 医者の発言に、その場にいた全員の時が、一瞬止まった。
「血が足りねぇなら、輸血すりゃいいだろ! おい、ルイセ、カーマインの血液型は何型だ!?」
「…っ…お兄ちゃんは、確か…」
「待ってください!」
 ウォレスとルイセのやり取りに医者がストップをかける。
「確かに輸血すれば助かるでしょう」
「じゃあ、直ぐにやれよ、この薮医者がっ!!」
 煮え切らない態度に苛立ちを隠し切れないゼノスが、大きな手をぬっと伸ばしてその襟首を掴む。
「できることなら、直ぐにしたいですよ、僕だって!!!」
 腕が良いと評判の割に若い医者は、ゼノスに臆することなくそう叫んだ。
「…どういう意味だ、そりゃ?」
「…彼の、カーマインさんの血液が特殊すぎて、同じ型のストックが……いいえ、恐らく同じものが存在しないんです」
 この医者は知らなくて当然の事だが、カーマインはゲヴェルの肉と血から作られた人間の模造品だ。
 故に、その血液には人間と人間でないものが混ざり合い、既存のものとは違う成分を為しているであろう事は、この場にいた医者以外全員の理解の及ぶところでもあった。
「…どうしよう…どうしよう…お兄ちゃん、死んじゃう…もう、あの仮面の男の人たちも居ないんだよ? 私たちがみんなやっつけちゃって…っ…くっ…ふ…うぅっ…」
 ルイセは嗚咽を我慢できずに、その場に座り込んだ。
「万事休すか…くそったれっ!!」
 ギリギリとウォレスは義手の拳を握り締め、
「そんな…そんな、どうしたらいいのよっ…あたし、いやだからねっ…こんなの、こんな…別れ方、嫌だぁっ…」
 泣き崩れるルイセの頭にしがみつき、ティピは強く目を瞑った。
 その中で、一番取乱すであろうと思われた筈のゼノスは、意外にも冷静な顔つきで医者の襟首を離し、
「…輸血しなきゃ、100%助からねぇんだな?」
 念を押すように医者の顔を見る。
「…ええ、無理だと僕は判断します」
「…じゃあ、俺の血を使え。俺の血を、あいつにくれてやってくれ」
 ゼノスの言葉に、皆一斉に顔を上げる。
「無理ですよ、さっき説明したでしょう? 同じ型でないと拒絶反応を起こして死にます」
「輸血しなきゃ、どの道死ぬんだろうがっ! だったら、少しでも望みがある方に俺は賭ける。それでダメなら、それまでの命だ」
 言い切って、ゼノスは乱暴に鎧を脱ぎ始めた。
 床にガチャガチャと派手な音を立て、重い鎧が落ちていく。
「…本気ですか!?」
「ああ、アンタには言ってなかったが、俺とあいつは―カーマインは同じ血を持ってる。他の奴の血をくれてやるよりゃ成功率は高いだろうぜ」
「あ…」
「そっか…」
「…隊長の血と、ゲヴェル因子も…」
 僅かにではあるが、ゼノスの体のうちにも流れているのだ。カーマインと同じそれが。
「…俺からも頼む。こいつの血をカーマインに輸血してやってくれ」
 ウォレスまでもが言い出し、医者は小さく溜息を吐いた。
「…いいでしょう。ですが、彼一人では負担が大きすぎますよ?」
 何しろ、失った量が半端じゃないのだ、そう医者は目で言っている。
「構わなくていいぜ。俺は人一倍血の気が多いからな。少し大目に抜いた方がいいだろうよ」
 口の端を吊り上げ不適に笑ってみせる青年に、医者は諦めたように頷きゼノスを伴って処置室へと戻っていった。






 此処は、どこだろう?
 何もない空間で目を覚まして、カーマインは首を傾げた。

 暗いといえば暗い。明るいと思えば明るい。
 手足を伸ばしきって、何かにこの身を預けている事に気付いた。
 ただ、自分は何もない、よく解らないが天井? いや、空なのか。兎に角上を見ている。
 体を縛る重力もなく、ふわふわと力の抜けきった体が浮いているのが解った。

 水、かな。これ…

 体を起こそうとした途端、急に浮力のなくなった体が後方に沈み込んだ。

ごぽっ

 深く深く、ゆっくりと、体は何かに飲まれて沈み、遥か上の方に見える水面に向って気泡が上っていく。
 不思議と、苦しくはなかった。
 上から光が差し込み、暗い蒼を、明るい青に変えていく。
 それが、とても綺麗だと思った。

 あ。この色…ゼノスの瞳の色みたいだ。
 コバルトブルー? いや、もっと爽やかで明るくて…

ごぽり

 一際大きな気泡がゆらゆらと上っていき、水面近くで弾けた。
 カーマインの体は尚も沈み、あのゼノスの瞳のような明るい青がどんどんと遠ざかっていく。
 それと共に、体が鉛のように重く感じられ、手足の先が冷たくなっていくのを感じた。

 あ、そっか。俺…死ぬんだ…多分。
 後悔するような人生を送ってきたわけじゃないけど…ルイセと母さん、泣いちゃうかなぁ。
 ティピなんか、泣きながら俺に蹴りいれるだろうなぁ。
 ウォレスも、困った顔して俺の死体に説教たれるんだろうなぁ…
 アリオストとミーシャは泣いてくれるかな…エリオットは泣きそうだ。ビックリして大声で泣くかもしれない。
 ジュリアン……こっそり一人で泣くんだろうか。あ、でも、ジュリアンは強いから大丈夫かな。
 カレンさん…も、泣きながら俺に説教しそうだ…くすくす…
 あと…誰かいたっけか…?

ドクン

 不意に、心臓が強く鳴った。
 水面の上から、大きな声が揺らめきながら響く。

「馬鹿野郎! 何、簡単に諦めてんだよ、最後までもがけよっ!!」

 うわ…説教されたよ、やっぱり。誰だ…?

「お前は、こんな簡単にくたばったりしねーだろうがっ!!」

 聞き覚えのある声だな。
 ん〜…誰だっけ? 凄く、大事な……

「生きろよっ! 俺のために生きろっ! 俺の了承もなく勝手に死ぬな、カーマインっ!!」

 うわ。むちゃくちゃな事いうな、コイツ…
 何で俺が、お前に命令されなきゃなんないんだよ。しかも、俺の命まで私物化か!?
 全く、態度でかすぎだろ、ゼノスは………ん?

 ――ゼノス?

 ぼっと全身が燃え上がるように熱くなった。
 鉛のように重く冷たく、己の意思すら届かなかった手足に、温かい何かが凄い勢いで流れ込んでくる。

 あ。
 そうだった…
 俺、お前に言いたい事、あったんだ。
 いや、きっと…言わなきゃならないことなんだ…これって。

 光が差し込む、彼の瞳と似た青にもがくように手を伸ばす。
 体中に流れ込む熱が、体を動かす力になり、押し潰す水圧を跳ね返すように。

「…早く、早く…戻ってこいよ、カーマイン。いつものお前通り憎まれ口を叩けよ…」

 力強い声は、何処か滲んで響き。

 …馬鹿だな、泣くなよ。
 いい年してみっともない。男だろ?

 照れたように笑って、飲み込む水圧に逆らうことなくカーマインの意識は濁流に飲まれ。
 深い、深い、深淵の底まで沈んでいった。





 幾分か、顔色は良くなったような気がする。
 隣に寝ている白面の青年を見て、ゼノスは小さく息を吐いた。
 
 見上げる天井には、小さな蛍光灯が一つ。
 シンと静まり返った小さな部屋の中で、身動ぎしないカーマインの横にゼノスもまた寝かされていた。
 日に焼けた太い腕に繋がる管から赤い血が吸い上げられ、人形のように横たわるカーマインの細い腕に繋がれた管から体内へと、ゆっくり、ゆっくりと運ばれていく。

「…早く、目を覚ませよ、カーマイン」
 ボソリと呟く。
 彼が無事目覚めるまで、その金と青の瞳でゼノスを映し出し、低く柔らかい声で名を呼ぶまで、この危険な賭けに勝ったのか負けたのか解らない。
 取り合えず、今のところ拒絶反応は出ていない。だが、安心も出来ない、そういった状態だった。
 僅かばかりに流れるゲヴェル因子と父親の血が、彼を救ってくれる事をただ只管願う事しか今の自分には出来ない。
 それが、もどかしく。

 怖かった。
 カーマインの体から零れ行く血と体温。
 手に触れているのに、掴めないようなじれったい感触。
 呼びかけても応じない瞼が、ゼノスを拒んでいるようで。

 ――こんな事になるなら、我慢しなけりゃ良かった…

 無理にでもカーマインの内に入って、己が証を刻み込んでいれば…或いは。
 カーマインを救い上げる、引き止める何かになったかもしれなかったのに。

「…大体、お前…寝汚ねーよ。若いんだから、いつまでも寝てないでさっさと起きろっつの…」
 ぼやいて、なんだか虚しいな、と、息を吐く。
 このまま、ずっとカーマインが目を覚まさなかったら…そう思うと、目頭が熱くなってくるような気がして、ゼノスは空いた片手で両目を覆った。
 情けない。
「…ぅ、るせぇ。寝るのは、俺の…ライフワークだ…ケチつけんな…」
 掠れた声が隣の寝台から響き、ゼノスはビクリと体を揺らした。
 ゆっくりと手をどけ、首を回す。
「……ばっ…おま、そんなのライフワークにすんなよ…っ…」
 僅かに開いた瞳が此方を見ていて、ゼノスは乾いた喉から言葉を搾り出していた。
「…へっ…半泣き状態のみっともない男に、そんな説教されたくないね」
「おまっ…それが、命の恩人に対して言う事か!?」
「…恩着せがましいこと言うな。誰も頼んでない」
 ぷいと横を向く。
 その様子が、余りにもいつもの彼らしかったので、ゼノスは大声を上げて腹の底から笑った。
 大量に血を抜かれてなけりゃ、今すぐにでもその口塞いでやるぜ、と言いながら。







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