泡沫人  ―03―





 カーマインが無事目を覚ましてから数日の時が流れた。
 一時期は、ルイセにわんわんと泣きつかれ、半泣き状態のティピの気が済むまで蹴られまくり、生き延びたのにやっぱりウォレスの説教を喰らった。ついでに言うならサンドラにも説教された。様子見もかねてラシェルの保養所に短期入院すると、アリオストとミーシャがまず見舞いに訪れ、その後わざわざバーンシュタインからエリオットと護衛のジュリアンが見舞いに来て、病室ではお静かに! とカレンが怒っていた。
 無理はしない事と、アイリーンに釘を刺されつつも退院したカーマインは、迎えに来たルイセとゼノスにあることを頼んだ。2人は最初「え?」と目を大きくし良い顔はしなかったが、カーマインがどうしてもと頼むと渋々と承知した。



 ルイセがカーマインに頼まれてテレポートしてきたのは、あのカーマインが襲われた森がある小さな村の入口だった。
 無理はしないでね、というルイセの頭を優しく撫でてやり、明日の昼頃迎えに来てくれとカーマインが頼む。ルイセは仕事の途中で時間を貰いカーマインを迎えに来たので、直ぐにローザリア王城に戻らねばならなかったからだ。ぐずるような妹の帰還を見送って、カーマインはゼノスと共に村へと足を踏み入れた。

 村に入ると、村人が忙しなく何かの用意をしているのが目に入った。立派なものではないが、全員黒い服を着ている。
「…もしかして、葬式…か?」
 ゼノスが口を開くと、村長と思しき老人がカーマインに気付き、ゆっくりと近付いてきた。
「…あぁ、グローランサー様…ご無事で何よりです」
 深々と頭を下げる老人に、ご心配かけました、とカーマインは静かに言った。
「…何か、あったのですか?」
「…2日ほど前、あの森の外れで死んだ娘を見つけまして、それで弔いをと…」
 老人の言葉に、カーマインとゼノスが互いの顔を見る。
「それって…こいつを襲った、あの女の子、か?」
 ゼノスの問いに、目尻に深く刻まれた皺の奥の瞳がふと伏せられ。
「…はい。お恥ずかしい話ですが……あれは、元々はこの村のものだったのです」

 村長の話によると、その少女は14年前の皆既日食の日に、ある夫婦の娘として誕生したのだそうだ。
 世間から切り離されたこの村では、当然、魔法やグローシュ、グローシアンの伝承や知識も記録もなく。育つに従い不思議な力を使う少女を奇異の目で見始めた。何もないところから火の玉を出して操ったり、村の至る所に歩いた形跡もなく瞬時に現れて見せたりと、知識のあるものから見ればそれはグローシアンが無意識に使う魔力の片鱗であったのだが、知らぬものには恐怖の対象でしかない。
 己のこうした力が、普通の人には使えないのだと少女が気付いた頃には、もう村人の少女を見る目は疎ましさから嫌悪、そして恐怖と憎悪へと変わってしまっていた。
 ある時、ふとした切欠でそれが爆発し、誰彼ともなく少女に石を投げつけ始めた。鍬や鎌を振り上げて襲ってくるものも居た。こうした閉鎖した集団の中では、自分達と違うものを排除しようとする動きは良くある事なのだが、それを少女に理解しろというのは無理な話であり、結局、少女は村人から逃れるように森の中へ消えていったのだという。

「…ひでぇ話だな、そりゃ…」
「…はい。仰る通りで。あの森には魔物が住むという伝承もあり、てっきり死んだものとばかり思っていたのですが…」
 少女は生きていた。
 そして、何らかの理由で自我を保てなくなり、狂ってカーマインを襲った。
「哀れな子です。わしらにちゃんとした知識がなかったばっかりに…」
 だから、せめて墓に入れてやろうと、そう村人と話し合って決めたのです。うぅ、と漏らし、老人は項垂れた。
「…村長。もしかして、あの子は…」
「はい。私の孫娘です」
「…じゃあ、何で守ってやんなかったんだ!? アンタの孫なら、可愛い筈だろう?」
 ゼノスが、眉を吊り上げる。
「…暴走した狂気は、誰にも止められませんで。息子も嫁も…あの子を庇って死にました。老いた私にはどうする事も出来なかった…」
「……っ…」
「…葬儀に参列しても?」
「有難い事です」
 此方です、老人に案内され、2人は村の外れにある小さな墓地で、少女の眠っている棺桶に土がかけられていくのを見守った。




 今夜は此処にお泊まり下さい。何もないあばら家ですが。
 そう言って通された民家の寝室で、ゼノスがふと目を開けると、隣に寝ていたはずのカーマインの姿がない事に気付いた。
 慌てて起き上がって隣のベッドに手を伸ばす。毛布は中途半端に捲れ上がり、皺の寄ったシーツは僅かにだが温かい。トイレにでも行ったのかと思ったが、なにやら胸騒ぎがしてゼノスは部屋を飛び出した。
 家中隈なく捜してみたが、案の定、カーマインの姿はこの民家にはない。小さく舌打ちし、ゼノスは一旦部屋に戻ると、シーツと剣だけ持って外に出た。

 思った通り。
 カーマインは夜の森の中にいた。
 ジャケットは脱いだまま、薄着のままで静かに立ち尽くし、天を仰いで僅かな月光を浴びている。
 ふわふわと浮かび上がるグローシュの光球が、吸い寄せられるようにカーマインの周りを漂い、その光景は幻想的で美しく、またとても儚げに見えた。ともすれば、このまま光の中に溶け込み消えてしまいそうなほどに。
 ぶるりと体を震わせ、何とも言えない奇妙な焦燥感に駆られゼノスは大股で近寄ると、その細身の体を背後から抱きしめた。
「…ゼノス?」
「…何、やってんだよ、こんな時間に。風邪、引くぞ?」
「お前が毛布代わりか? 重い毛布だな」
 くつくつとカーマインが笑う。
「なぁ、ゼノス。あの子、言ってたよな。俺の意識がなくなる前、あの人と同じように溶けてしまえって」
「…? あ、あぁ…」
「こんな暗い森で一人、少女が平気で暮らして行ける訳ないよな。きっと…傍に誰か居たんだ。そう、俺の兄弟が…」
 手を伸ばしてグローシュを掴もうとするが、それはするりと指の間から抜けていってしまう。
「俺は、大切な人たちを失いたくなくてゲヴェルを倒したけど…結果、他の誰かから大切な人を、奪っていたんだ」
「…カーマイン…」
「…あの時、俺も…俺も溶けてなくなってしまっていれば、少しはあの子の気も晴れたんだろうか?」
 酷く弱々しく呟かれた言葉に、ゼノスは眉を顰め、
「馬鹿言うな。お前は溶けやしない。溶けさせたりしない。俺が、お前を繋ぎとめる楔になるから」
 そのまま、顔を降ろして服の上から首筋の傷口を強く吸った。
「いつっ…」
 ビクリと、腕の中の体が揺れる。
「ゼノ…」
「笑えよ。俺は怖かったんだ、あの時…俺の掌からお前の血が、体温が零れ落ちて…お前を失うのかと思ったら、とてつもなく怖かった。情けねぇ話だよな」
「お前…」
「まだ何も伝えてねぇのに。お前を永遠に失ってしまう恐怖に比べたら何てことない事に怯えて、自分の気持ち誤魔化して。ああ、こんな事なら無理やりにでも奪って、俺のものにしときゃ良かったって、輸血してる間中思ってた」
 カーマインを抱きしめる腕の力が、一層強くなる。まるで、母に縋る子供のように。
「笑えよ、カーマイン。俺は情けない男だ。そして、自分勝手な男だ」
「…ゼノス、それ…口説いてんのか?」
「…は? あ、あぁ…そう聞こえるなら、そうなんだろうよ」
「何だそれ。ハッキリしろよ。期待させんな」
 ムッとしたような口調に、ゼノスの目が丸くなる。
「…え…カーマイン?」
「俺が欲しいのか、欲しくないのか、ハッキリしろって言ってんだよ」
「…そんなもん、欲しいに決まってるだろ」
「じゃあ、くれてやる」
 すっと伸びてきたしなやかな手がゼノスの後頭部を押さえ引き寄せ、驚く間もなく斜め上に振り返ったカーマインの唇がゼノスのそれに触れる。
 一瞬のうちにそれは離れ。
「…カー…」
「黙れ」
 また塞がれた。




「…っ……はっ…ッ…」

 叢の上に焦がれた体を押し倒し、自分は何をやっているのだろうと思うと、ゼノスは酷く滑稽な気分だった。
 闇夜に浮かび上がる日焼けしていないその肌は奇妙に白く感じられ、玉のように転がる細い汗が劣情をあおり、薄い唇から零れる吐息が理性を蝕んでいく。
 胸元に唇を落とせば、求めるように、足掻くように伸ばされた手がゼノスの服を強く握り引き寄せ、森の静けさにそぐわない生々しい呼吸の音が小さく響く。
「…ぅん…っ…く…」
 足を開き奥を暴けば、噛み締めた歯の間から零れるのは甘い悲鳴。
 甘露のように響くそれに酔いしれ、ゼノスは指を引き抜き、強引に己を押し込んだ。

 嗚呼。
 綺麗な獣が哭く。

 物憂げに、切なげに。

 溶けてしまわぬように。
 この腕の檻の中から逃げてしまわぬように。
 強く楔を打ち込めば。

 嗚呼。
 甘い声が、森の中に溶け込む。

 これは夢か現か、虚か実か。
 余りにも現実味のない交わりに、ゼノスはカーマインの奥を強く穿ちながら、その頬に手を伸ばした。

「…んっ……はっ…ゼノ、ス……?」
 震える薄い唇を、無骨な指でなぞる。
「…カーマイン…これ、夢じゃ、ないよな?」
「…ほぅ、いつも…ッ…夢で俺に、こんな事…ぁっ…してるの、か?」
 組み敷かれながらも、毅然とした態度は変わりなく。
 だが、それ故に益々現実味が遠ざかる。
「…ぅ、あ、いや…そのっ…いっ!」
 ガリ、と侵入しかけた指先を強く噛まれ。
「…ふっ…くくっ…夢じゃ…ぁはっ……ないだろ?」
 滲んだ指先の血だまりを赤い舌で舐め上げられ、ゾクリと背筋を愉悦が走る。
「ああ、そうだな…この痛みも、体温も、快感も…」

 夢じゃない。

「俺も、してたから…っ…オアイコだ…ッ…」
「…へ?」
 ぶるりと体を震わせ、カーマインの白い腕がゼノスの首に絡みつく。
 引き寄せられた耳元で、
「…だから、もっと。お前のしたいように、俺を貪れ」
 と、囁かれれば。
 後はもう、体中を駆け巡り吹き上げる劣情に突き動かされるまま。
 誰にも、止める事は出来ぬ。


 この綺麗な獣を捕まえたのか、それとも己が捕まえられたのか。
 解らないほどに。










「…ゼノスさんがついていながら、何でお兄ちゃん悪化してるの!?」
 
 翌日。約束通り兄を迎えに来たルイセは、高熱を出し寝込んでいる兄の姿を見て、可愛らしい眉を吊り上げた。
「…あ、いや…その、何だ…」
 流石に、まだ冷える今時期に森の中で人には言えないようなことを致していました、とは言えず。
 ゼノスは大きな体を萎縮させて、言葉に窮していた。
「その、なぁに!?」
「…えっと…散歩。そう、散歩…してたら、風邪引いちまったみたいで、な?」
「な? じゃ、ないわよゼノス! まだ半病人のコイツをふらふらと歩かせて、そして風邪引かせたってーの!?」
 耳元でティピが金切り声を上げる。
「第一、なんでお兄ちゃんだけ風邪? ゼノスさんは無事なのに??」
 それは勿論。
 致してた時に、ゼノスは服を着込んでいて、カーマインは素っ裸だった事が原因なのだが。そんな事をこの超がつくブラコンのルイセに言える筈もない。(もし言おうものなら、間違いなくソウルフォース100連発は固いだろう)
「…ごほっ…それは、ゼノスが馬鹿だからだよ、ルイセ」
 カーマインの助け舟とは思えない助け舟に、ゼノスは言葉を詰まらせた。
「あー。ゼノスは脳みそまで筋肉って事ね」
 呆れたようにティピが呟くのと、
「…馬鹿は風邪引かないって、本当だったんだ〜!」
 ぽんとルイセが手を叩くのは同時だった。

 上手く窮地を脱しはしたが、腑に落ちないのはゼノスばかり。









どうして最後までシリアスでいけないのか…私の人間性がダメっぽいです。
兎も角、此処まで読んで下さり有難うございました。輸血云々は…突っ込まない方向でorz カレンさんも手術したんだし、きっとできるよ!

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