PERSONA




 それは、ほんの出来心とか、そう言った類のものだった。
 だが、あの時――
 あいつの口から零れた名前が、俺の名前だったら…こんな事にはなっていなかった筈だ。


 エリオットが王位を奪還した後、あいつは俺をパーティへと誘った。
『これからは共に、仲間として一緒に戦って欲しい』と―――
 涼やかな目元に強い意志を秘めて。
 勿論、俺に断る理由は無い。カレンを救ってくれたあいつのためにこの剣を振るうことが、俺にできる唯一の贖罪のようにも思えていたからだ。
 だが、釈然としない事もあった。カレンとは親しくしていたし、気にかけていたのだから助けるのは当り前だとして、勝手に逆恨みし何度も命を狙った俺を、快く仲間に迎え入れる事ができるのだろうか?
 そんな疑問を胸に抱えてはいたが、実際、俺はあいつに抗う事の出来ない何かを感じ、強く惹かれていたのも確かな事だった。

 あいつの義母―サンドラ様や義妹―ルイセ、エリオットをも欺いて、ヴェンツェルがその牙を剥きルイセのグローシュを抜き取った後、あいつは気落ちする暇もなく妹を元に戻すために翻弄する事となった。そりゃあ、俺だってカレンがそんな目に会ったら、何としてでも元に戻してやるって思うさ。とりあえずルイセをラシェルの保養所に連れて行くことになり、その道中での出来事だ。
 ルイセの退行が始まった事により、テレポートは勿論使うことは出来ない。そのため、俺たちは徒歩でラシェルに向う事になった。
 デリス村に付き、ウォレスのおっさんが初めて二人と会ったことなどを話すが、ルイセは反応しない。
 あいつは―カーマインはいつも通り、少し困ったようなそれでいて隙の無い表情で息を一つ吐くと、今日は此処で休もうと提案した。
 実際問題、カーマインがかなり参っているのは、表情を見なくてもパーティ全員の知るところだった。

 宿の、カーマインが取った部屋を訪れたのには深い意味は無かった。
 ただ、同じく妹を持つ兄の身として、何か力になれないかと思ったからだ。自然に足が向きドアの前まできて、何て声をかけようかと悩んでいたら僅かにドアが開いていて、深夜の薄暗い廊下にひっそりと部屋の明かりが漏れている。
 やっぱり、まだ起きているのか――なんて苦笑しながらドアノブに手をかけると、湿った、くぐもった吐息が僅かばかりに聞こえてきた。
 何だろうと隙間から部屋を覗いたのは、好奇心と出来心から。
 細い視界に飛び込んできたのは、ズボンの前を大きく広げて足を開き、露出した股間に手を伸ばしながら頬を染め喘いでいる奴の姿だった。
 ――っ!!! お……ぃ…ちょ…っ…
 見てはいけないものを見てしまった気がして、慌てて頭を引っ込めようとしたが、何故か目は奴からそらせない。
 妹が大変なこんな時に――と思うだろうが、大変な時だからこそそうなってしまう事もあり、まぁ…男ってのは意外とデリケートで不可思議なものだ。などと妙な事を感心してしまったりしたが、普段クールで隙を見せない―何を考えているのか読めない―あいつが、切なげに眉を寄せ、閉じた瞼に生えそろう長い睫が細かく揺れて、羞恥のためか興奮のためかサッと差した頬の朱がなんとも艶っぽく。滅多に拝めない表情に、俺は視線をそらせず―寧ろ食い入るように見つめてしまっていた。
 そろそろ佳境に入ってきたのか、自身を扱く手のスピードが上がり、泣きそうな吐息が漏れる。
 ふと。誰を思って…その手を動かしているのだろうか、そんな疑問が頭をよぎった。
 いつも一緒にいる義妹? それともお目付けのホムンクルス?(いや…それは、ちょっとばかしヤバイだろう) 能天気な眼鏡の子か、それとも…実は女だったあのインペリアルナイト…? もしや…カレンでは!? そ、それは…いや、許し…ても、い…くはないな!
 なんて、一人で悶々としていた所に、細い、小さな悲鳴が上がって。

「………ス……ッ」

 思っても見なかった人物の名前の呟きと共に、白濁した液体が飛び散る。
 それが。
 呟かれたのが、女の名前であったなら――若しくは、俺の名前であったのなら。
 これほどの暗い感情は湧きあがってはこなかった筈だ。
 耳にしてしまった名前に、俺は自分の耳を疑い――そして、腹の底に何か黒い、自分でも良く解らないものが溜まっていくのを感じていた。
 頭では止めろ、と。さっさと引き返して見なかったことにしろと叫ぶのに。
 体は一切いうことを聞かず、乱暴に、音を響かせながらドアを開け放つ。
 途端、奴―カーマインはビクリと体を揺すり、ドアの向うに立つ俺を見て硬直した。
「…おいおいカーマイン。そういうことは、ちゃんと部屋に鍵をかけてからするもんだぜ?」
 口の端を吊り上げながら、俺は部屋に踏み入ってドアを閉め、そこに背を預けた。カーマインの顔が見る間に青くなる。
 こんな表情。俺よりもずっと長く一緒に旅をしてきた奴らだって見たことは無いだろう。そう思うと、奇妙な優越感が俺を満たした。あの頃の、何もかもを恨み絶望していた時の暗い仮面を自ら被る。カーマインは顔面を蒼白させたまま身動ぎもしない、いや、出来ないのだ。
「…しっかし。まさか、ローランディアの騎士様が、こんな嗜好を持っているとはねぇ…」
「………」
「…あいつも、まさかズリネタに使われているとは、夢にも思ってなかったろうよ…」
 ククク、と低く笑って見せると、カーマインは泣きそうな表情で俯いた。
「…信頼しているお前が、自分を頭の中で押し倒しているのを想像してるなんて、な…」
 カーマインの手が、ギュッと自分のズボンをきつく握り締める。
「…いう、つもりか…」
 それだけ。
 たったそれだけ。普段から口数の少ないカーマインの口から漏れた一言だった。
「さぁな。どうしようか…言ったら、あいつはどんな顔するかな。驚くか、それとも嫌悪するか――」
 大きくカーマインの肩が揺れる。
「どっちにしろ。今まで通りとはいかねぇだろうなぁ…」
 口では楽しげに言葉を発していても、俺は訳の解らない苛立ちを覚えていた。
「…まだ、俺を許せないか? 卑怯だと、憎んで…いるのか?」
 意を決したのか、ゆっくりと上げた顔は、いつものそれに戻っていて。それが更に俺を苛立たせる。
「…別に。もう憎んでも恨んでもいやしねぇよ。全てはガムランのせいだったし、お前の強さはよく解っている。あんな事が無くても――」
 お前には勝てなかっただろう――その言葉は、僅かなプライドに邪魔をされて口から出なかった。
「…じゃあ、何が望みだ?」
 俺を見据える金と青の瞳は揺ぎ無く、悔しいくらい落ち着いていた。
「…そうだなぁ。言われたくないなら、口止め料を払ってもらおうか」
「…金は、あんまり無い」
「解ってるよ、それくらい。お前、いつも自分の装備より仲間の装備に金かけてるもんな。金の無い奴から金を取るほど、俺も鬼じゃあない」
「…?」
 怪訝な色が瞳に浮かぶ。
 お前、世間知らなすぎだよ。金が無いなら、差し出すのはのはたった一つだろう?
「お前の体で、俺を口止めしろよ」
「…ッ!?」
 カーマインの顔色がサッと変わる。目に見えるくらい真っ赤になった。だが、それも一瞬の事だ。
「…か、体って…」
「俺もな…暫く女買ってねぇから、溜まってんだよ。いきなり尻を出せとは言わねぇ。その代わり、お前の口でしてくれよ」
 できるだけ野卑た笑みを浮かべながら、俺は自分の股間を指差し、来いよ、と顎をしゃくった。
 カーマインは暫し逡巡して、小さく息を吐くとのろのろと立ち上がって俺の前まできて膝を床に落とした。
「俺の口で…すれば、言わないか…?」
 声は微かに震えている。
「ああ。言わないでおいてやるよ。暫くは…な…」
 たどたどしく指が股間を這い、ジッパーを下げてまだ力の無い俺のものを取り出す。
 指を絡めて上下に擦りながら、カーマインは躊躇いがちに口を開いた。
「歯は立てんなよ」
「…解ってる…」
 泣きそうな声でそう言って口を近づけるが、決心がつかないらしく一向に含もうとはしない。
 ――屈辱か。好きでもない…寧ろどうでもいい男のものをしゃぶらされるのは…
 クッと、喉の奥で自嘲的な笑い声をもらす。幾らそっちの気が合ったとて、男が男のものをしゃぶりたいわけが無い。
 俺は身を屈めると、そっと奴の耳に囁いてやった。
「目を瞑って……のものだと、思えばいいだろう?」
 カーマインの泣き所である、あいつの名前を吹き込んでやる。
 ビクリと、剥き出しの肩を震わせて、カーマインはおずおずと俺のものを口内に誘った。

 唾液の絡まる音と、思ったよりも高い体温と、滑った感触が意識を混濁させる。
 気持ちがいいのか悪いのか、そんなことも解らなくなるくらい、もうどうでも良かった。
 あるのは、どこか冷めた意志とは無関係に熱を持ち高まっていく己自身の興奮と、やりきれない後悔。

 ――俺は、馬鹿だ。

 こんな事を、させたかった訳じゃない。
 こんな事をしても、こいつは俺の下にはとどまらない。

 解っている。
 解っているのに、一体なんなんだ。この苛立ちと、腹の底から湧きあがる激しくどす黒い感情は。

 それでも、波はやってくる。
 無慈悲なほどに空々しく。虚しくも確実に。
 腰を突いて上り詰める射精感に、俺は必死にむしゃぶりつくカーマインの髪を掴むと、強引に引き剥がした。

「目ぇ…瞑っていろよ」
「…え……ぁっ!!??」

 僅かに上気し、口角から唾液を滴らせた艶かしい顔目掛けて、留めていた関を自ら開く。
 半濁した白い液体を、男の割には綺麗な顔に飛び散らせ、汚していく――その暗い愉悦に酔った。

 例え、手に入らなくても。
 愚かな行為だと知っていても。
 お前を最初に穢すのは、俺だ。俺だけだ。

 以前、この身に纏った顔を隠す汚れた仮面を、この先ずっとまたつけるのだろう――そう、思った。







お互いの気持ちがすれ違っちゃってます。カーマインが呟いた名前はお好みで…。
ウォレ
かもしれないし、アリオトかもしれないし、アーネトかもしれないし、オカーかもしれない。ス多いなぁ。ゼノ、だしね。
2008/05/02