捕獲




 気に食わない。
 そんな理由で、納得できるものか。

 俺は、初めて――何者にも替えがたいと、例え最愛の妹を悲しませてでも手に入れたいと――
 それくらい本気で、死ぬ思いで自分の想いを打ち明けたんだぞ!?

ダン!

 ゼノスは、苛立ち気味に歯を噛み締めてテーブルを力任せに叩いた。
 その音は、今カレンがこの自宅にいたら間違いなく驚いて飛び出してくるだろう大きさだった。

 振られた理由が、
 1.男だから、男に告白されても嬉しくない。寧ろ気持ち悪い。
 (まぁ、これは解る。俺だって、自分の気持ちに気付く前だったら、確実にご遠慮していたところだ)
 2.実は他に好きな相手がいる。
 (…ってんなら、まだ解る。例えその相手がカレンだったりしても、俺は認めてもいい。カレンはいい女だしな)
 3.兎に角、性別無視でゼノスが嫌い。
 (…流石に、これだったら痛いが…それでも、それはしょうがない…)
 だったら、諦めもつく。と、ゼノスは思うのだが。
 実際に、カーマインがゼノスを振った理由が

 4.遺伝子情報が同じだから

 だったりしたものだから、ゼノスには堪ったものではなかった。
 そりゃあ、この恋には弊害がある。
 世間様から見たら白い目で見られそうな、男同士、という問題に加えて、知る人から見れば近親相姦という有難くないおまけもついてくる。
 しかし、だからと言ってゼノスは、はいそーですかと諦めるような物分りのいい性格ではなかった。
 寧ろ、障害があったほうが燃えるようなタイプだった。
 何しろ。彼はこの25年間、最愛の義妹―カレンを立派に育て、また守る事にその生の全てを賭けてきた(と言っても過言ではない)。幼い頃、カレンがぐずれば夜通しおんぶして宥め、初潮を迎えればお赤飯を炊いて祝い、日々美しく成長する妹に悪い虫がつかないかと目をぎらつかせ、自分が着の身着のままでもカレンには新しい服を買ってやり、ひもじい思いをさせないように、それはそれは血の滲むような努力で、蝶よ花よと育ててきたのだ。
 当然。端から見れば異常なほどのこのシスコンのせいで、彼は青春らしい青春を送ってこなかった。日々剣を振るい肉体労働に従事して、恋なんて甘酸っぱい経験もなく(周りが男臭かったのも悪い)、気がついてみたらもう十分な結婚適齢期。その手のお姉さんたち相手にそれなりの性経験は積んでいても、心が揺り動かされる事もなかった。あの日、首都ローザリアの端の街道で、賊に襲われるカレンを助けてくれた一人の青年―いや、まだ少年だろうか…その彼に出会うまで。
 一時は騙されて敵味方に分かれ、紆余曲折色々な事があったが、それでも彼はゼノスを仲間として迎え入れ苦しい戦いを勝ち抜き、そして生き残った。
 激しいまでに一途で潔い彼と行動を共にし、知らず知らずの間にゼノスは彼に惹かれていった。
 彼が実は人間じゃなかったとか、彼の元になる人物が自分の父親だったとか、そんなものは既に関係なく彼を欲し、傍に置きたいと願うようになっていた。
 そんな思いは彼の独り善がりだったのかもしれないが、今までそう言った経験のなかったゼノスには「これは、ちょっとおかしいんじゃないか?」と思う余裕はなく、初めて心から欲しいと思ったものなら尚の事、今更引く事も出来ない。
 最初は、流石に『兄貴』としての立場に甘んじようと我慢したが、彼を思う気持ちは日々強くなる一方だった。もしかしたら、それは同じ遺伝子を持つもの―親子―としての吸引力か、それとも或いはゼノスの身のうちにも流れている僅かばかりのゲヴェル因子の為せる業だったのだとしても、この気持ちは抑えられそうにもない。
 ―同じ遺伝子(情報)を持っているから―
 では、既に遅すぎたのだ。割り切る事が出来ないほどまでに、この気持ちは膨らみすぎていたのだから。

 大体、なんだよ。その、同じ遺伝子をもっているからってのは!!
 幾らあいつの元が親父だって、ゲヴェルの肉から作られたんだから親父そのものじゃないし、
 俺だって、親父とお袋の間に生まれたんだ。遺伝子が重なってるのだって僅かだろうが!!
 言い換えれば…そう、あれだ。従兄弟かはとこか、そんな感じだろ? 血の濃さ的に。従兄弟同士は結婚できるんだぞ!

 低く唸りながら、どっかとゼノスは椅子に腰掛ける。

 それを、なんだよ。
 こっちは、真っ赤になって心臓止まるかと思うくらい真剣に告白したのに。
 0.1秒も掛からず即答で、しかもつらっとした表情であっさり振りやがって!!!

 ゼノスは鼻息も荒く乱暴に立ち上がって、壁に立てかけた愛剣に手を伸ばした。
 こんなむしゃくしゃした日には、闘技場で無心に剣を振るのが一番いいと思ったからだ。
 闘技大会の開催時期ではないが、フリーバトルでも結構な武器防具や賞金が手に入る。
 ガチャガチャと鎧を着込み外に続く扉を開けると、目の前の街道に見慣れた後姿を見つけ、ゼノスは目を丸くした。
 忘れもしない、漆黒のさらりとした短い髪に、半端に着込んだ赤いジャケット、そして頼りない細い肩。
「…カー…」
 声をかけようとして思わず息を飲む。
 彼は一人ではなかったからだ。ローランディアの騎士であり、特使として日々忙しい生活を送っている彼がこんな所を歩いているのにも驚いたが、その隣を親しげに歩く男を認めて苛立ちがこみ上げる。
 無器用なまでに、だが昔取った杵柄宜しく嘗て日陰の立場にいた自分を思い出し、ゼノスはそっと2人の後をつけた。
 たわいなく何事かを話しながら、2人は商店街へと向って歩いていく。
 なるほど。グランシルは荒くれ者どもの街に相応しく、王都よりも武器防具の品揃えがいい。新しいものでも見繕いに来たのか…それにしては、連れて歩く男がやや頼りなげではあるが。
 物陰に身を潜めつつ、付かず離れずの距離で付いて歩く大きな体は、端から見れば怪しい以外の何者でもなかったが、当の本人はそんな事に構っていられない。人の事をあんな理由で振っておきながら、自分は別の男とデートかよ! じゃあ、俺を振る理由は2番の『別に好きな人がいるから』じゃねーか! ギリギリと小さく歯噛みしながら、胃の奥に何とも形容しがたい嫌な気持ちが湧き上がってくる。
 つと曲がり角で、水色の長い髪が揺れカーマインの隣を歩く男が此方を見たような気がして、慌ててゼノスは物陰に隠れた。咄嗟の事だったので上手く隠れる事ができたかゼノスには解らない。やや暫くして顔を覗かせてみると、露天商に足を止めた2人はこちらを振り向く事はなく、どうやら気付かれなかったようだと胸を撫で下ろす。

「…くくっ…可愛いなぁ…」
 口元を押さえて、アリオストは小さく笑った。
「…ん? あ、これか?」
 手に持った小さな花をあしらったペンダントを持ち上げると、アリオストは「いや」と、首を振った。
「こっちの方だよ。このイヤリング…ミーシャ君に似合うと思わないかい?」
「ああ、似合うと思うよ」
「そうだね。じゃあ、此れを貰おうか。君も何か買ったら? ルイセ君に」
 アリオストが小さな宝石のついたイヤリングを露天商に渡すと、
「お土産ねだられてるの、知ってるのか?」
 と、バツの悪そうな顔をする。
「ルイセ君のブラコンぶりは良く知ってるからね。ああ、そのブローチなんかいい感じじゃないかな?」
 指を差されて視線を動かすと、綺麗な彫り物がされたブローチの横にそっけなく置かれた青い石のついたチョーカーに目が止まった。無意識に手を伸ばすと、アリオストが顔を近付けて覗き込んでくる。
「…ターコイズだね。魔除けのお守りにもなるって聞くよ?」
「良く知ってるな。アリオストは」
 苦笑して、チョーカーを元の位置に戻す。
「そうかな。まぁ、色んな知識を得るのは楽しいけどね。あ、すいません、このチョーカーとそこのブローチ、これも下さい」
「アリオスト!?」
 カーマインが声をあげると、アリオストは支払いを済ませ、小さな包みを2つカーマインに手渡した。
「これはお礼だよ。遺跡探査の護衛のね。そして、こっちは良い子でお留守番しているルイセ君に、僕からのお土産」
「…そんな、気を使わなくても…」
「何言ってるんだい。天下のグローランサー様に護衛してもらったんだ、しかも休日返上でね。これくらいしなくちゃ罰が当たるよ」
「仲間を助けるのは当然だろ?」
「当然…ね」
 アリオストは横目でちらりと後方の物陰を見て、それからさり気なくカーマインの肩に手を回し、
「じゃあ、当然ついでに少し休んでいこうか。美味しいお茶を出す店があるってミーシャ君に聞いたんだ」
 と、先を促した。

 一方、アリオストの(わざとな)挑発にすっかり引っ掛かってしまったゼノスは、怒髪天を衝くと言わんばかりの凄い形相で固まっていた。身を潜めていた壁に食い込んだ指先が力の入れすぎで白く染まり、掴んだ先からビシビシと亀裂が入り、ぱらぱらとひび割れた石壁から屑が落ちていく。今日も今日とて縄張りを確認しに来た野良犬が、その余りにも凄まじい形相と滲み出るドス黒いオーラにキャンキャンと惧れをなして逃げ去った。
 何とか深呼吸を繰り返し、ようやく凍った足を踏み出す。あれ以上のことをカーマインにしたなら、闇討ちどころか辻斬りすらしかねない勢いで2人の後を追う。よしんば、カーマインに不埒な真似を働くアリオストをその大きな剣で切り伏せても、これは天誅だと胸を張って言えるほど、ゼノスの頭の中は沸騰していた。
 2人が入ったのは、最近出来たらしい若い女性に人気がある洒落たカフェだった。グランシルはバーンシュタイン国境にも近いせいか、武器防具だけでなく雑貨などの流通も多く、商店街が大きい事もあってちょっとした人気スポットだったりする。そのお洒落な店に似つかわしくないゼノスは二の足を踏み、辺りをキョロキョロと見回すと安い衣料品店に駆け込んだ。その中でも一番安いフードつきの大きな長いマントを購入し頭からすっぽり被ると、意を決して店に乗り込む(まるで強盗犯のようなオーラを撒き散らしながら)。店内を見回し、奥の右手前の席に見慣れた姿を見出し、ゼノスは顔を隠したまま足早に2人の席の裏側の席に腰を下ろした。席と席の間に観葉植物のプランターが置いてあり、これなら悟られまいと小さく息を吐くと、注文を取りに来たウェイトレスにコーヒーを頼み耳を欹てる。
「…ところで、カーマイン君。ゼノス君を振ったんだって?」
 聞こえてきたアリオストの声に、思わずゼノスはテーブルの足を蹴ってしまった。ガタっと音が鳴り冷汗を掻いたが、どうやら2人は気付いていないようでそっと胸を撫で下ろす。
(…な、なんでアリオストがその事、知ってんだよ…っ!! あの時は2人きりだったのに…)
「…誰から聞いた…?」
 ふてくされたようにカーマインがアリオストを睨むと、彼は軽く目を細めた。
「君の小さな相棒からだよ」
「…ティピの奴…」
(くっそー! あの羽虫めぇええ!! んな恥かしい事言いふらしてんじゃねーよっ……はっ…よもや、カレンの耳には入ってねーだろうな…)
「てっきり、君はゼノス君が好きだと思ってたけど?」
 核心を衝くアリオストの問いに、ゼノスの心臓が大きく鳴った。
「…俺が? ゼノスを…? 冗談は寄せよ、アリオスト」
 だが、そっけなく返された(しかも、不快感が交じる声で)カーマインの言葉に、ゼノスの全身から力が抜ける。額をテーブルの端に小さくぶつけて、ゴッと鈍い音が響き魂が半分抜けたその様は、コーヒーを運んできたウェイトレスに「お客様、大丈夫ですか?」と声をかけられるほど間抜けだった。
「冗談? 僕は本気だよ。君の目はいつでも彼を追ってたじゃないか。痛々しいほど一途に…」
「…っ…あいつとは、そんなじゃない」
「じゃあ、どんなだい?」
「…………」
 問い詰められて、カーマインは口を噤む。
 口下手なカーマインと違って、アリオストは実に口達者だ。油断するとあっという間に本心を引き出されてしまう。
「君の恋を応援する親友として、何故振ったのかその理由が聞きたいね」
(…コルァ!! 誰が親友だっ!! 兄ちゃんは認めてないぞ!!)
 と、ゼノスはアリオストの『親友発言』を甚だ遺憾に思うが、確かにカーマインとアリオストは(悔しいくらい)仲がいい。
「…だって、男同士じゃないか。変だろ、そんなの」
「…ふぅん。僕は君が、そんな細かい事を気にするような人物じゃないと思うんだけどなぁ」
「それに…」
「それに?」
 カーマインの言葉が詰まる。
 彼は意気消沈したように俯いて、カップの取っ手を弾いては戻し、ソーサーの上でくるくると回していた。
「ゼノスは…遺伝子上、俺の息子だろ? 無理に決まってるじゃないか。それに、俺は…命を分けてくれたベルガーさんのためにも、ゼノスやカレンさんが幸せになれるよう見守らなくちゃいけないんだ」
 その言葉を聞いた瞬間―ゼノスの頭の中がカッと沸いた。握り締めたコーヒーカップがミシミシと軋み、目の前が真っ赤になった瞬間、呆気なく握り潰され壊れた破片が突き刺さる掌に、まだ熱いコーヒーが染み込んでいく。
(…ふざけんな…)
「詭弁だね。君らしくもない」
「何処が」
「好きなら好きで、それでいいじゃないか。君が誰を好きになろうと、他の人には関係ない筈だろう? ましてや、君と彼の関係なんて極一部の人間しか知らない事だ」
「………」
「…じゃあ、聞き方を変えるよ。付き合う付き合わないは別として、君は彼のことが好きなのか、嫌いなのか。これくらいは教えてくれても構わないだろう? 此処には僕と君しかいない」
 と、言いながら紅茶の入ったカップを口元に運ぶが、アリオストは先ほどから此方の会話に耳を欹ててる人物に気付いていた。
 ――全く、世話が焼けるね。君も彼も。
「……嫌いだ」
 ポツリと呟かれた言葉に、ゼノスは無言で席を立とうとした。
 これ以上、此処で話を聞いていても仕方がない、そう思ったからだ。何よりも、先ほどのカーマインの言葉に、堪忍袋の尾が今にも切れそうで、これ以上何か言われたら殴り倒してしまうかもしれない。自分では下らないとか、お節介だとか思う理由でも、カーマインにはよっぽど大事な事なのだろうし、それに彼は先ほどきっぱりと言ったではないか―嫌いだ―と。
(なんだよ、結局…全部じゃねーか。男だから駄目、好きな奴がいるから駄目、嫌いだから駄目、遺伝子が同じだから…駄目)
「…って、思えたら、どれだけ楽なんだろうな。でも、もう…駄目だから…」
 泣きそうなカーマインの呟きに、ゼノスの動きが止まる。
「もう、駄目なくらい、好き…だから…」
 最後の方は消え入りそうで、ゼノスは耳を疑った。
「好きならそれでいいんじゃないかな。どうして素直になれないんだい?」
「どうして?」
 アリオストの問いに、カーマインが自嘲的な笑みを見せる。
「あのね、俺はさ、良くも悪くも有名人なんだよ。こっちは頼んでもいないってのに。大げさに光の救世主だのなんだのって…化け物の残した異物に冗談じゃない。俺は、この世界を救いたくて戦ったんじゃない」
 くっと、口の端を吊り上げる。
「この世界を救いたかったんじゃなくて、俺の好きな人たちを殺させたくなかっただけさ。そうして、ただ只管に、がむしゃらに戦って、生き残ってみたら、勝手に英雄扱いで祭り上げられて。何処に行っても、素晴らしい英雄のカーマイン様。うんざりする」
 苛立たしげに吐き出して、カーマインは己の顔を掌で覆った。
「…小さい頃から、この顔と瞳の色で…気味悪がられた。それを言うと、母さんやルイセが悲しむから黙ってたけど、俺は嫌だった。何をしても、どんなに頑張っても、俺を根本的に気味悪がったり嫌ったりする奴はいるんだ。なぁ、アリオスト。俺が小さい頃から言われて一番嫌いだった言葉を教えようか?」
「…興味、あるね」
「…まぁ、整って綺麗なお顔だこと、まるで『お人形さん』のようね」
「…っ!!」
(…っ!!)
「当り前だ。俺は、化け物の命令を聞いて遂行するだけの、『人形』だったんだ。言いえて妙じゃないか。おかしいだろう?」
「…そ、それは…」
「…でも、もういい。そんなのは聞き飽きた。今更、どうでもいい。俺が宮中や諸外国で何を言われようと、誹謗中傷を受けようと、そんな事は些細でしかない。実際、俺は人間じゃないのだし、傷付くと言う感情すら元からあってはならないものだから」
「カーマイン…」
「…嬉しかったよ。こう言っちゃなんだけどさ、ゲヴェルが死んで俺が死にそうだった時、みんな俺の事心配してくれて。不謹慎だけど、ああ、俺は人間として扱ってもらえるんだなって、さ」
 すっかり冷め切った紅茶を口に運んで、カーマインは窓の外をぼんやりと眺めた。
「…ゼノスが…」
 ゴクリと、ゼノスは喉を鳴らした。
「ゼノスが、俺と付き合うことで後ろ指を差されるのが、死ぬほど嫌だ。俺はいい。どんな目で見られても、恥かしくない。でも…ゼノスが奇異の目で見られるのは……嫌だ。我慢できない…嫌なんだ!」
 …なんで俺、男なんだろう。どうして、俺は、ベルガーさんから作られたんだろう…
 小さくカーマインが呟く。その声は弱々しく、今にも消え入りそうで、アリオストは何と言ったらいいのか解らなかった。
「…だから、さ。こうする他ないだろう? 何事もなかった。これで、終わり……」

「終わりじゃねぇっ!!!」

 カーマインの言葉を遮って、怒声が響く。
 吃驚して顔を上げると、ズカズカと近寄ってきた大きな影が目の前に立った。
「ふざけるな。お前、俺を見くびっているのか!?」
 静かな怒気を含んだ声で見下ろされ、カーマインの目が大きく見開かれる。
「…え…な、んで……ゼノ、ス…」
 いつもは回転の早い頭が、突然目の前に現れた此処にいるはずのない(と、思っていた)人物の出現に上手く回らないようで、身動きできずにいる。
 ――しまった。此処はグランシルだ……油断していた!
「…俺、あの時言ったよな。納得の行く理由でなけりゃ、お前の事を諦めないって」
「…納得、いけよ。頭悪いな」
 何とか凍りついた唇を動かし、悪態をついてみせる。上手くいったかどうか、カーマインには既に判断できない。
「ああ、お前みたく頭はよくねぇよ。けどな、お前みたく臆病でも弱くもないぜ」
「…前にも言ったろ。そ、れに…今も、言った…」
「納得できねぇ」
「馬鹿か!? 納得しろって言ってん……ぁっ!?」
 突然延びてきた血塗れの手がカーマインの腕を掴み引っ張り上げ、無理やり立たされたカーマインの顎を太い指が強引に上向かせて、少し厚めの唇が驚く薄い唇を塞ぐ。
 それは、一瞬の出来事で、カーマインには今自分に何が起きてるのか解らなかったが、先ほどからの騒ぎで店内の注目を集めていた事と、自分たちを囲むどよめきが更に大きくなった事だけは解った。
 ――なんだ…なんで見られて……っつか、何か口に当たって…
「…俺を見くびるなよ。さぁ、此れで既成事実が出来たぞ、カーマイン」
 触れるだけの温もりがすっと離れて、何故だか目の前にいるゼノスがしてやったりと目を細めて笑う。
「……お、ま……」
 カーマインの顔色は、蒼白して、そして真っ赤に変色した。
「お、ま…おま、え…今、何したのか…解って…」
 戦慄く唇に、ゼノスの舌が這う。
「キス、だろ?」
「…こ、こんな公衆の面前で……許さねぇ。さっさと離れろ、この馬鹿がぁっ!!」
 ぷっつりと何かが切れたカーマインの手が愛剣に伸びる前に、
「馬鹿はお前だ!! 来いっ!!」
 それより大音量で怒鳴りつけ、ゼノスがカーマインの腕を掴んだままズンズンと歩き出す。強い力で引っ張られて、否応なくカーマインはよたよたとゼノスの後を付いていく羽目になった。



「離せよ、ゼノスっ!」
 グランシルの入口にあるゼノスの家に引っ張り込まれ、精一杯抵抗したところでやっとカーマインは解放された。
 ドン、と扉を背に追いやられる。
「お前、自分のした事、解ってんのか? 頭沸いてるんじゃねぇのか!?」
 悪態をつきながら、強い握力で引っ張られた右手を上げてカーマインはぎょっとした。
 ゼノスの手形がついていたから、ではない。手形と共に鮮血が纏わりついていたからだった。
「…ゼノス、お前…何処か怪我…っ…ンッ…んんっ…」
 顔を上げた瞬間、またも強引に唇を奪われる。
 今度は、先ほどしたような軽いそれでなく、吐息すらも奪いそうなほど激しく深く貪られ、カーマインは逃げようと顔を動かしたが、大きな手がガッチリと顎を掴みそれを許さなかった。
「…ふっ…ぁ、くっ…っ…」
 強引に口を割られ、熱い何かが侵入してくる。それがゼノスの舌だと解った時には、カーマインの両手は自然と彼の背中に回されていた。
 歯列を割って動き回るそれは、我が物の顔でカーマインの口内を動き回り、余すとこなく舐め尽していく。
 ――ぜの…す……ゼ、ノス……馬鹿だよ、お前…っ…
 ――折角、逃がしてやろうと…思っていたのに。わざわざ捉まりに来るなんて…
 舌が絡まり、湿った水音が家中に響くと錯覚した頃、漸くカーマインの唇は解放された。
「…はっ…は、ぁっ…馬鹿か、お前…」
「馬鹿で結構。あんなんじゃ、足りねぇんだよ…」
 耳元でゼノスの声が低く響き、カーマインは全身から力が抜けていくのを感じた。
 今まで意地を張っていたのが馬鹿みたいだ、自嘲的に笑みをもらしてずるずると座り込む。
「…俺も、足りない…」
 一緒にしゃがみ込み覗き込んでくるゼノスの顔を見ながら、カーマインは笑った。
「俺の本気、解っただろう?」
「ああ。俺、お前のコト見くびってた。お前、本気で馬鹿だったってコト」
「馬鹿でもなんでもいいさ。お前が、手に入るなら…」
 そっと、太い指が壊れ物でも扱うように頬に触れ、
「本当に馬鹿だよ…お前。もう、俺から逃げられないからな」
 今度は優しく唇が降りてくる。
 触れるだけのキスを繰り返し、ゼノスの手がするりとカーマインの股間に伸びてきた。
「んっ…あ、こら! 駄目だっ…触るなっ!」
 じわりと刺激を齎すその感覚に、カーマインは慌てて身を捩った。
「いいじゃねぇか。焦らすなよ…」
 熱を孕んだ青い瞳が射るようにカーマインを見つめ、有無を言わさぬ熱い手が体を弄り始める。
「…くれてやるから。だから、その前に怪我の手当てさせろ」
 そう言って、カーマインは乾き始めた血に塗れたゼノスの手を引き上げ、軽くキスを落とした。





「……カーマインの分は良いとして。どうして僕が、ゼノスの飲み分も持たなきゃならないのかな…しかも、割れたカップ代まで?」

 騒然とする店内で、あれは余興だとかどっきりカメラだとか、そういった誤魔化しの言葉を並べ立て何とかその場を凌いだアリオスト。今頃はゼノスの家でイチャイチャしてるだろう2人に殺意を覚えつつ、アリオストは空になった財布を見下ろして大きく溜息をつく。
「この分の貸しは大きいね。さぁ…どう返してもらおうかな♪」
 と、真っ黒い笑みを浮かべつつ、アリオストは愛妻の待つ我が家への帰路についた。






どっきりカメラっつのが、も、古い…誰が知ってるんでしょう(遠い目)
2008/05/03