ハードル (前編)




「…いっ…てぇ…やめ、ろ…それ、ぃ、やだっ!」

 背後から自分の上に圧し掛かり、尻を割って太いものを捻じ込もうとする男に向って小さく怒鳴ると、整った眉を顰めてカーマインは体を捩った。
「…そう、言うな…も少しだからさ、我慢しろって…」
 それでも尚且つぐいぐいと腰を押し付けてくる男は、宥めすかすようにカーマインの項や背中にキスを落としたりする。
「…我慢できるか! このバカッ! 早くどけろって…」
 戦士であるが故、多少の痛みには慣れているカーマインだったが、内側を切り開くような慣れない痛みには抵抗せざるを得ない。男―ゼノスがこうして圧し掛かってくる前は、それなりに気持ち良かった筈なのに、どうしてこんな苦痛を味合わされねばならないのか、甚だカーマインには納得がいかなかった。
「…此処まで来たら、とまんねーって…」
 熱い吐息を漏らし、ゼノスがその大きい手でカーマインの細い腰をガッチリと掴む。
「いーやーだっ!! やめねぇと、ソウルフォース落とすぞ、この野郎!!」
 メリ、と熱く硬い肉棒の先端を無理に押し込められて、カーマインは振り向きざまに肘鉄を食らわし、怯んだ瞬間抜けたゼノスのそれを、伸ばした手で力一杯握りこんだ。
「…っ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!????」
 声にならない絶叫。
 玉を勘弁してやったのが、僅かばかりの優しさ。


 青ざめたゼノスが落ち着きを取り戻すまでの間に、カーマインは脱ぎ捨てた衣服をすっかり着込んでしまっていた。
 夢にまで見た甘い時間が過ぎ去ってしまったことを悟り、ガックリと項垂れる。
「…ひでぇ…」
「酷くない」
「ひでぇだろ…こんなの。久しぶりの逢瀬なのに…」
 ベッドに突っ伏して弱々しく文句をいうゼノスに、カーマインは小さく溜息をついた。
「酷いのはゼノスだろう。俺は嫌だって言ったのに、あんな真似をして」
「あんな真似って…恋人同士なら当り前の行為だろ!?」
 カーマインのつれない台詞に、ゼノスはガバッっと起き上がって眉を顰める。
「…恋人…同士…? あ、あぁ…そうだっけ…」
 細い指先で黒糸の前髪をかきあげ、口で反芻しながらカーマインは頷いた。
 その様子に、ゼノスは口から魂が抜け出そうになった。いや、半分はもう出ているかもしれない。
 確かに、カーマインはこういった蜜事には非常に鈍(うと)い。本人自体、自分に寄せられる好意に興味がなく、性欲も薄いようで、ゼノスが求めない限りは体を預ける事も、また手を伸ばしてくる事もなかった。
 それにしたって、自覚がなさ過ぎる。仮にも気持ちを打ち明けあって、キス以上のこともしている間柄であるにも関わらず、この仕打ち。
「…おま…俺のこと、嫌いなのか?」
「…嫌いなわけ、ないだろう。嫌いだったら…体を触らせたりしない」
「じゃあ、なんで最後までさせねぇんだよ?」
 いっつも、いっつも!! 寸止めで…!! とは、ゼノスの心の叫びだ。
「ゼノスこそ、おかしいだろう。ちゃんと出してるじゃないか」
 金と青の瞳に怪訝な色を宿してカーマインが首を傾げる。
「あのな、勃っちまったら挿れてーだろ? 男ならっ」
「挿れたい…? そうなのか…? しかし、俺は男だぞ。そんな場所はないし、ゼノスが無理やり挿れようとした場所は、本来、出すべき方の器官であって、挿入するための器官じゃない。第一、そんな無駄に大きいものなんて入る訳ないし、痛いから俺は嫌だ」
 至極真面目に切り返されて、ゼノスは泣きそうになった。
 そんな事は最初から知ってんだよ、でも挿れてーんだよ! ああ、そうだ、俺は変態だよ、チクショー!
 いっそ、ベッドに突っ伏してみっともなく泣き叫んでしまえば、少しはカーマインの心が揺り動かせるだろうか…と、考えたが、それでも事態は好転しないだろう事はゼノスにも解っている。
「……好きな奴となら、繋がりてぇじゃねーか…」
 ボソリと、ゼノスが呟く。
 その言葉の意味を、カーマインは理解できなかった。




 結局。気まずいまま時間だけが過ぎ、予定よりも早く呼び出しが掛かったカーマインが、テレポートで迎えに来たルイセに連れられて帰ってしまってから、無駄に数日の時が流れた。

 カーマインはおかしい。
 ありゃ、もう、性欲が薄いんじゃなくて皆無なんじゃねーか。
 いや、確かに…強引にやろうとした俺も悪いが、俺のことが好きなら、ちったぁ我慢してくれるだろうし、欲しいと思ってくれるだろ? フツー。
 擦って終わりなんざ、自慰を覚えたてのガキじゃあるめーし。
 そんなんで、我慢できっかってんだ。惚れぬいた奴を目の前にしたら、組み伏せたくなるもんだろ、フツー。そいで、奥まで入り込んで一緒にイキたいと思うだろ、フツー。
 なぁ? そう思うだろう?

 と、盛大な溜息をつきながら同意を求められて、柳眉を曇らせ整った小さな唇を引き攣らせながら、
「…どうして僕が。このクソ忙しい僕が、君の色ボケた相談に乗らなくちゃいけないのかな?」
 溜息をつきたいのは此方だよ、と険も露に、突然やってきた傍迷惑な客人を宝石のような青い瞳が睨みつける。
「…あ、いや…」
「一時的とはいえ、一度はバーンシュタインに仕えた君だから、一応アポなしの面会には応じるけどね。僕は君にそんな赤裸々な問題を相談されるほど、君と親しくはないつもりだよ?」
 一見、穏やかな言い回しだが、その声には刺さったら「痛い」所じゃすまないような棘がふんだんに散りばめられており。
「そりゃ、確かに親しくはねーだろうけどさ。ほら、なんちゅーか、問題が問題だろ? こういうのは当事者っていうか、経験者にしか解らねぇと思って…な」
 男とは思えぬほど整った容貌を持つ細身の青年よりも遥かに大きな体を萎縮させ、ゼノスはボソボソと口を開く。
「…僕は当事者でも経験者でもないと思うんだけど」
「いや、だって…ほら、お前…いや、アンタ、あの…居なくなっちまったインペリアルナイトと…その…だったんだろ?」
「…は?」
「だから、経験あるんだろって。そこで一つ、ご教授頂きたいんだが、どうやったら痛くなく出来るんだ?」
 ゼノスの言葉に、紫苑の髪がざわめき米神が小さく引き攣る。
 何をどうやったら、そのような解釈に辿り着くのか、その頭をいっそ割ってみたい。
「…愛があるなら受け入れられるって言うなら、いっその事、君が彼を受け入れればいいんじゃないかな。それなら彼は痛くないし。君が我慢すれば良いだけのことだろう?」
 ニッコリと、それはもう、周りの空気が瞬時に凍りつくような笑みを浮かべ。
「…えっ…いや、俺は掘られるのはちょっと…」
 及び腰になるゼノスを壁際まで追い詰めるように近付き、
「大丈夫だよ。今、此処で僕が君のアレを刈って上げるから。そうしたらもう受け入れるしかないよね? 愛があるなら大丈夫だろう?」
 巨大な鎌を振り上げる。
「…わっ!! た、タンマ!! ちょ…落ち着け、リーヴスっ!!」
 奪われてなるものかと、両手で股間を押さえ(ある意味命よりも)大事なものを庇いながら、ゼノスは半ば涙目で首を大きく振った。
「……っぷ…」
 まるで、すっかり怖気づいて尻尾を股の間に入れてしまった犬のような様に、オスカーは小さく吹き出しゆっくりと鎌を降ろす。
「冗談だよ。僕もこれでそんな汚いものを刈りたくないしね」
 ホッと胸を撫で下ろしつつ、ん? と、ゼノスは首を傾げた。
「君、童貞じゃないんだろう?」
「…ああ、そりゃ、まぁ…それなりには」
「じゃあさ、女性を抱く時みたいに優しくしてあげなよ。いい? や・さ・し・く、だよ?」
「…してるぞ??」
「したりないんだろうね」
 溜息をつきつつ、まだ何か言いそうになるゼノスを片手で制し、
「僕からのヒントはそれだけ。後は自分で解決して。忙しいんだからさ」
 お帰りはあちら、と扉を指してみせる。
 仕方がなくとぼとぼと歩き出した背に、オスカーは念を押すように口を開いた。
「最後に言っておくけど…僕とアーネストは互いに切磋琢磨した間柄で、君の言うような関係は一切持っちゃいないからね。もし、そんな殺意が芽生えるような勘違いを誰かに言い触らしたりしたら…」
 巨大な鎌をキラリと鈍く光らせながら、
「今度こそ、本気で刈るから。ね?」
 ビクリと肩を揺らすゼノスに、優しげな、それはもう聖母かと思うくらい優しげな微笑で釘を刺した。



 一方。
 ゼノスがオスカーに好いように苛められてる頃、カーマインは領地の端にある木陰に体を横たえていた。
 ひっきりなしに客が訪れる領地でも、少し奥に入ると未開拓の鬱蒼と繁った森があり、昼間でも少々薄暗いことから余り人がこない。ので、煩わしい事が嫌いなカーマインがサボるのにうってつけの場所だった。
 さわさわと風が頬を撫でていき、目を閉じると心地よくうとうととしてしまいそうになる。

 ゼノスはおかしい。
 そう思う。
 カーマインにとっては、自慰の延長にしか過ぎない行為に何故あそこまで拘るのか。
 それが、理解できない。
 最も、人と似せて―また人を元にして―作ったのだから、年頃には精通も来た。
 しかし、自慰ですらカーマインはした事がなかった。ゼノスに触れられて、引き出されて、初めて其処を弄る事が気持ち良い事なのだと知った。それでも、ゼノスが触らない限りは自分でする事もなく、またしなくても何の問題もなかった。
 だから、ゼノスが言う―勃起したら挿れたい―という感情が解らない。
 元々、怪物―ゲヴェル―が人間を支配するために作った人形だ。そんな器官や感覚は擬似した以上のものである筈もなく。
 それ故、彼の望みに応えられるとは思えないのだ。

 ――ゼノスは、気持ち悪くないのか…?

 胸もない。尻だって硬い。女のように柔らかくも滑らかでもない筋張った男の体で。

 ――しかも、俺は…化け物だ。人間じゃない…似せて造られた人であらざるもの。

 いつか時が来て、この心臓が動きを止めたなら、嘗ての同胞がそうだったように自分も崩れて溶けて、どろどろの細胞になって消える。
 女のように、愛らしくもない、声だって低いし口も悪い。そんな化け物と―繋がりたい―?

 解らない。
 難解だ。難しい高度な魔法を覚えるよりもずっと――
 まるで、解けないパズルをやっきになって解こうとしているみたいだ。

 溜息をつき、ゴロリと寝返りを打つと、遠くから自分の名を呼ぶ耳慣れた声が響いてきた。
「――あ、いたいた。ウォレスさん、こっちこっち!」
 甲高い声。厄介な奴が来たなと、カーマインは気だるげに体を起こす。狸寝入りを敢行しても容赦なくキックをお見舞いされるからだ。
「…ああ、此処にいたか、カーマイン。サンドラ様が御呼びだぞ?」
 ぬっと、大きな影が少ない日差しを遮る。
「…わざわざ来たのか…」
「俺も呼ばれているからな」
 苦笑しながら差し出される大きな手に掴まり、ふと、別の大きな手を思い出した。
 少なくとも自分よりは人生経験が豊富なこの男なら、ゼノスの言わんとしている事が解るかもしれない。
「…なぁ、ウォレス。聞きたいことが、あるんだが…」
 いつも通りの定位置とばかりに、カーマインの肩にちょこんとティピが腰を降ろす。
「ああ、何だ? お前から聞くなんざ珍しいな」
「男同士って、出来るのか?」
「何がだ」
「セックス」
 恥じらいもなくきっぱりと言ってのけたカーマインに、ウォレスは一瞬硬直し、慌ててティピに手を伸ばした。
「きゃっ…何するのー!」
「あああ、あのな、ティピ。サ、サンドラ様に、これから向うと言いに行ってくれないか?」
「えー? テレパシーで十分じゃない」
「ダメだ、ダメだ! これは、ティピには早いし、男同士の大事な問題だからな?」
 何とか言いくるめ、ティピを追い払う事に成功したウォレスは大きく息を吐いた。
 爆弾発言した当の本人はきょとんとしている。
 カーマインの言うところは、つまり、ゼノスとの事を指しているのだろう。
 目が見えない分、何となくそういった雰囲気に敏いウォレスは、ひた隠しにしている2人の事にも気付いていた。
 ――まぁ、公然の秘密って感が否めねぇのはご愛嬌だがな…
「どうしたんだ、ウォレス?」
「…いや…まぁ…うむ。出来ない事も、ない…」
 言うべきか言わざるべきか、ウォレスは言葉を濁しながら困ったように眉を下げる。
 弟か息子のように感じているカーマインをその道に走らせるのはどうかと思うが、本人達が了承し求めているならば止むを得ない、といった諦めの境地にも似た感歎がこみ上げる。
「出来るのか!?」
 出来る事なら、そんな知識は知らないで欲しかった…と思うウォレスの親心子知らずで、カーマインは感心したように声をあげた。
「…まぁ、な…」
「…でも、男同士だろう? 気持ち悪くないのか? どうやってするんだ? 擦るだけか?」
 矢継ぎ早に繰り出される頭痛のしそうな疑問に、ウォレスはふらりと立ちくらみを覚えた。
「…まぁ、普通はしねぇな。けどよ、中にはそういう趣味の連中もいるし、長い間男だらけの中で生活しなきゃならん時に、なんだ…その性処理でする、事も、ある…」
「…そうか。溜まると大変らしいからな、男は…」
 お前も男だろう、と突っ込みたくなったが、ウォレスはカーマインが箱入り息子だったのを知っているだけに複雑な気分だ。
「それで、どうやるんだ?」
「……まぁ、尻に突っ込む…ってトコか…(何で、俺、こんな事説明してるんだ…)」
「尻に!!?? だって、あそこは挿れる場所じゃないだろう?」
「…ぅ…ま、まぁな、でも出来ない事もない。寧ろ、女とするより好いって言う連中もいる」
「!!! あんなに痛いのにか!? 痛いのに、女よりいいのかっ!?」
 驚いたように目を丸くするカーマインを見下ろし(最も、彼は目が見えないので雰囲気と声で、そんな表情だろうと推測し)、ふつ、と。ゼノスに対する殺意が芽生えた瞬間だった。
「いや、あのな…気持ちよくなる所があるらしい……ってか、お前、されたのか?」
 ゼノスにと、つけなかったのはウォレスの優しさだ。
「…先っぽだけ。痛いから止めさせたけど」
 不貞腐れたようにそっぽを向くカーマインの頭を、大きな手が優しく撫でる。
「まぁ、無理してするもんでもねぇしな。寧ろ…すんな」
「でも、したいって言う。俺は痛くて嫌だけど、そんなに気持ち良くなれんなら、挿れたいっつー気持ちも解らなくはないな…」
 一頻り頷くカーマインを見下ろして、自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったのではないだろうかと、ウォレスは思った。いっそ、最後まで致してしまう前に、ゼノスの息の根を止めておいた方がいいのではないだろうか。と、物騒なことまで考える始末。
「…ところで、ウォレスは詳しいが、経験あるのか?」
「…あるわけねぇだろっ!!!」
 俺は掘られるくらいなら、掘る方だっ! と、思わず怒鳴りそうになってしまったのを、ぐっと堪えた。
「そうか…まだよく解らないけど、取りあえず、有難う、ウォレス」
「無理してやんなくていいからな?」
 念を押すが、その言葉がカーマインに届いたかどうか、甚だ怪しい。






続く
2008/05/07