ターコイズ・ブルー




 不思議なもんだ。
 改めてそう思う。
 
 きゃらきゃらと高い声でよく笑う妹や、その親友を微笑ましく見つめる小さな、けれど決して華奢ではない背中。

「…なぁ、俺は馬鹿だから良く解らねぇんだけど。クローンてのは、同じ人間つーことか?」
 隣に立つ涼やかな優男にそう声をかけると、少し向うで戯れる少女達―恐らくは赤毛の少女―を、眼鏡の奥の瞳を穏やかに細め見ていた男が振り返った。
「…ああ。遺伝子的にはそうなるね。最も、僕は専門じゃないからヴェンツェルから聞いた後、本を読んだ程度の知識だけど」
「…つーことは、あれか。あいつが余り大きくならねぇのは、元になる人間があんまり大きくないからか?」
 あいつ―が、誰を指しているのか聡い男は直ぐに察したようで、小さく笑って俺の全身を見る。
「そうだね。幾ら育つ環境が違うとはいえ、人間の体の成長に関する遺伝子―記憶―は、両親から受け継がれある程度決まっているものらしいよ。例えば、一卵性双生児をそれぞれ全く違う環境で育てても、何故か体格も身長もほぼ同じ、食べ物や異性の好みまで一緒らしい。双子でさえそうなのだから、全く同じ人間の遺伝子を持っていれば、その成長は同じものになると推測されるだろうね」
「…そうかぁ。あんなに…小さな背中だったんだなぁ…」
「…君のお父さんの事かい?」
「ああ。ま、そうは言っても、俺が物心つくかつかないかの時にいなくなっちまったから、あんま良く覚えてねェンだけどよ」

 今でも覚えている。
 今度の仕事は、少し長くなる。その間、母さんとカレンを頼むぞ―そう言って小さかった俺の頭を撫でてくれた大きな手。
 二度と会えなくなるとは知らず、お父さん、お仕事頑張ってねと、精一杯背伸びして小さな手を振り見送った、あの日の大きな、とても大きく感じられた力強い背中。
 それは。幼かったが故大きく見られたものであって、とっくにあの日の父の年齢を追い越した俺から見れば、なんと細く小さな背中であったか。

「ガキの頃は、もっと大きく逞しく感じられたものだけどな」
 苦笑すると、
「いや。実際、ベルガーさんの方が彼より大きいんじゃないかな」
 優男は眼鏡の淵を押し上げて呟いた。
「へ? だって、アンタさっき…」
「幾ら同じとは言え、数センチの誤差はあるだろうし、身長は兎も角体つき―筋肉は後天性のものだ。例えば、もし彼がこれから更に筋力トレーニングでも積めば腕も肩も胴回りも太くなるだろうね。君みたいに」
 確かに、腕っ節一本。剣を振るう事だけを考えて、強くなる事だけを考えて鍛錬してきた俺の二の腕は、あいつの2倍くらいあるんじゃないと思うくらい太い。軽く腕を曲げたら力瘤もできるし、そこにルイセとかがぶら下がっても平気だろう。もしあいつが―カーマインがそれくらいの筋肉をつけたら、少しはもっと親父に近付くのかもしれない…とは、思ったが。あの細くしなやかな体が、俺のようにゴツゴツとした体になるのは…ちょっといただけない感じがする。もう既に、それで見慣れているだけに凄い違和感だ。
「まぁ、最も。サンドラ様に育てられたお陰で、彼は実際のところ剣を振るうより魔法を使う方が得意みたいだから、あのくらいの筋肉で丁度いいんだろうね」
 そういう優男―アリオストも、研究者と言う職業柄か身長は高いが余り筋肉はついていない細身の男だ。
「でも僕が気になるのは…」
「ん?」
「彼の体が小さい事よりも、彼と君の遺伝子が多少なりとも同じものを受け継いでいるってことだね」
 くすりと小さく笑うアリオストに、俺は眉を顰めた。なんだ、そりゃ、嫌味か?
「…いや、寧ろ…君の遺伝子情報が気になるところだよ。君と彼では、皮膚の色も髪の色も違う。骨格や身長などもそうだが…ハッキリ言って似てない。まぁ、君は彼と違って母親の情報も受け継いでるから仕方がないとはいえ……その無駄に大きいのは母親の遺伝子なのかな?」
「無駄に、は余計だ! じゃあ、何か? 俺の産みの母親がゴリラみたいだってか!?」
 余りの言い草に声を荒げると、あいつの肩に止まっていた小さなホムンクルスが、風に身を任せるように此方へと飛んできた。
「なぁに、大きな声で叫んでるのよ?」
「いや、彼の母親の遺伝子についてちょっと、ね。ほら、彼とカーマイン君は余り似てないだろう?」
 アリオストが苦笑する。
「聞いてくれよ、ティピ。コイツ、俺の母親がゴリラみたいなんじゃないかって言うんだぜ。ひでーよな!」
 聞くなり、ティピは空中で腹をくの字に折り曲げて笑い出した。
「あはっ…あははっ! 何それ、最高ー!」
「僕は別にゴリラみたいだ何て言ってないよ」
「似たようなもんじゃねぇか! っつか、ティピ、お前、笑いすぎ!」
 手を伸ばして嗜めようとすると、ティピの体は風にふわりと押し出されるように俺の手からすり抜ける。
「…くくっ…だぁってぇ…あんまりに見当違いなコト、いってるからぁ〜」
「見当違い? まるで君はゼノス君の母親の顔を知っているような口振りだね?」
「だって、あたし見た事あるもの」
「「…えっ!?」」
 ティピのケロリとした発言に、俺とアリオストは同時に声をあげて目を丸くした。
「あいつも見た事あるよ。だって、あいつの持ってたパワーストーンは、ゼノスのお母さんから貰ったものだもん」
 小さな指が指す方向。風に黒髪を揺らしながら空を仰ぐあいつ―カーマインの姿がある。
「…あの、親父が持ってた指輪と同じ…あの指輪か!?」
「うん。そう。あいつがこの旅の最初に行った場所でね、お墓があって、そこで貰ったの。多分、あれ、ユーレイとか言う奴なんでしょー? 薄っすらとしていたけど、凄く綺麗な女の人だったわよ。少なくとも、ゴリラには似ても似つかないわね」
「…おふくろの墓…」
「えと…確か、シエラさんて人で…あの時、『あの子をお願いします。母は今でも愛していると伝えてください』って言われて…でも、その時はあいつもあたしも、その子がゼノスだって知らなかったけどね」
 申し訳なそうにティピが俺の頭を撫でる。
 俺はと言えば、ただ呆然としていた。ずっと、カレンの母を本当の母だと思い込んでいたのだ。親父がヴェンツェルに殺されるまで――
「…ふぅむ。となれば、益々疑問だね。カーマイン君もシエラさんも顔が整っている……割には…」
 チロリと俺を見る。
「…あーぁあ! 悪かったよ、どうせ俺は美形でもなんでもねぇよ!」
 不細工でも、ないつもりだったんだが。
「そう悲観する事もないんじゃない? 男らしいと思うけど」
「ティピ…お前、話の解る奴だな!」
「それに、ゼノスとあいつって似てるわよ?」
「「…えっ!?」」
 またもや綺麗にハモって、ティピはきゃらきゃらと笑った。
「んーとね。直ぐむきになるトコとか、周りが見えなくなっちゃう事とか、自分より他の人の事を優先させるトコか。あと…照れると凄くぶっきらぼうになっちゃうトコとか」
「…そうかい? 彼はいつも冷静に見えるけどね?」
「そう振舞ってるだけよ。それに…」
「それに?」
 ティピがふわりと宙に舞い上がる。
「ゼノスの目の色。あいつと同じ!」
「…カーマインは金だろ?」
「それは、見えてる右目だけ。前髪に隠れて見辛いけど、左目はゼノスと同じ、青い色だよ」
「ああ…そう言えば、そうだったね。あの青い色は凄く珍しいと僕も思った事があるよ」
 ポンと、アリオストが手を叩く。
 そう言えば、初めてあった頃から、俺はあいつの顔を真っ直ぐに見て話をしてきたはずなのに、あの貫くような意志の強い金色の瞳にばかり気を取られて、もう片方の瞳の色なんて気にした事もなかった。
「ゼノス君の青も、良く見れば彼と同じで珍しい色合いの青だよね。何と言ったかな…」
 うーん、と記憶の扉を叩き始めたアリオストを後にして、俺は風に吹かれるままの小さな背中にゆっくりと近付いた。
 ゲヴェルが倒されたせいで、一時期は瀕死の状態まで落ち込んだ。
 親父の、命の波動を受けて僅かに体力が回復したとはいえ、それもほんの少しの間の…延命でしかない。
 近付けば、ともすれば崩れ落ちてしまいそうな、どこかに消えてしまいそうな、そんな儚さが付きまとう小さな体の背後に立つ。
 ゆっくりと手を伸ばし頭に触れると、
「…何? ゼノス。ゴミでもついてた?」
 カーマインは見上げ気味に振り向いた。
 さらりと揺れる前髪を、太い(触れるのに似つかわしくないと一瞬思ってしまった)指で掻き分けると、澄んだ――そして、何処か懐かしい青。
 ああ、そうだ。
 これは――鏡で見る自分と同じ――


「ああ、そうそう、思い出したよ。ターコイズ・ブルー」
 アリオストが顎に指を置きながら微笑む。
「ターコイズブルー?」
「そう。不透明な青でありながら、何処か神秘的な青い石ターコイズ。その色に似てるんだ」
「へぇ〜」
「ターコイズはね、魔除けのお守りとしても人気があるんだよ」
「魔除け…かぁ。うん…そうかもしれないね」
 

 あの時は動揺していて、やっと会えた親父を守る事も出来なかった。
 そして…今度は、こいつまでも失うのだろうか――俺と繋がるこの懐かしい青を、永遠に…
 ぎゅっと、髪に触れていない方の拳を握り締める。自分が、酷く無力に感じた。
「…大丈夫だ。大丈夫だ、ゼノス」
 見上げる瞳はまだ幼い。
 なのに。何故だか、俺はその一言に酷く安堵して――同時に情けなくなった。
 俺のほうがずっと年上なのに、と。
「ああ、そうだな。ヴェンツェルの野郎をぶっ倒したら、俺のお袋の墓に連れてってくれよ」
「ああ、解った。一緒に墓参りに行こう」
 そう言って見せた微笑は、儚く。
「約束だぞ? 忘れるなよ?」
「ああ、約束だ」

 果たされる事のない、約束なのかもしれないけれど。
 今は、それにしがみついていたい。

 情けなくも、頭上に広がった青空を見上げて、心のうちで呟く。

 俺の“青”が、お前を守る、繋ぎとめる“青”に、なるようにと――――






いや。私も遺伝子云々については良く解らないので、深い突っ込みは…なしでお願いします…orz
2008/05/03