軍配はどちらに上がる?
「…相変わらずね、兄さんたら…」
床に乱雑に散らばった衣服を拾い集めながら、カレンは困ったように息を吐いた。
脱ぎっぱなしの服や、足を引っ掛けたら大変な事になりそうな大小の鉄アレイ、奥の方にはバーベルが無造作に放置されており、壁際にピタリと安置されたベッドの毛布は起き抜けのまま。元々、物に執着しないゼノスの部屋は家具自体少なくシンプルで、足の踏み場が無いくらい汚れている訳ではないが、それでもやっぱり女の目から見れば眉を顰めてしまう。
「…もう、兄さんたら。居間や他の部屋はきちんと片付けるのに、どうして自分の部屋には無頓着なのかしら…」
溜息をつきながら、洗濯する物とそうでもない物を分けていくのは既に馴染みの作業で、保養所からたまに帰宅するとこうやって兄の部屋を掃除するのが習慣になってしまっている。
ゼノスは特別ぐうたらでも横着でもなかったが、神経質でも綺麗好きでもない。自分以外が共有するスペースについてはきちんと掃除もするし、料理が好きなこともあって台所も綺麗にはしていたが、自分自身だけの空間にはトンと無頓着で、掃除も頻繁と言うほどはしない男だった。(勿論、掃除をしないわけではない)
鉄アレイに足を引っ掛けないように洗濯籠を持ちながら進み、今日は天気もいいからシーツも洗濯しましょうと、カレンは捲れあがったままの白いそれを力任せに引っ張った。上のシーツをひっぺがし枕カバーを外して、下のシーツを剥がそうと引っ張るとやけに重く、「えいっ」と気合を入れて引きずり剥がすと、ゴトリ、と何かが床に落ちる。
「…?」
何か硬い物が床を打つ音が響いて、ふいにシーツが軽くなった事にカレンは首を傾げて床に視線を落とした。
「………」
其処に落ちていたのは、カラフルな表紙の雑誌。
派手な煽り文句に呼応するように、ほぼ半裸の女性が艶かしく体をくねらせている。
所謂、成人男性向け雑誌―エロ本―という物だったが、それを発見してもカレンは特別慌てもしなかった。ああ、また新しいの買ってきたのね、その程度の認識でしかない。
流石に、カレンがまだ10代前半だった頃は、ベッドの下に隠されたその手の雑誌を見つけた時は顔を真っ赤にし慌てたものだが、今やもうそんな物は慣れっこで、寧ろ健全な成人男性であるゼノスが、こういうものに興味を示さない方がおかしいと思う理解力すらある。隠してる分、まだ可愛いわよね。堂々と読まれたら流石に引いちゃうけど。くすりと小さく笑みを漏らして、カレンは床に落ちたその雑誌を拾い上げた。
中をぺらぺらと捲ってみる。みんな凄いわねぇ…恥かしくないのかしら…?等と感心しながら、ふと、カーマインさんも読むのかしら、こういう雑誌。と、カレンは今や兄をも凌ぐ勢いで心の内を占めている、年下の凛々しい少年の顔を思い浮かべた。ルイセちゃんに見つかったら大変でしょうけど…少しだけ頬を赤らめつつ、更にページを手繰る。
「…………」
そう言えば。カーマインさんて、どういう女の子が好みなのかしら…やっぱり胸は大きい方が? 髪は長いほうが好いかしら、体つきはどう? 色っぽい人が好みとか、それとも清純派の方がお好きかしら…?
等と、自分はその条件に当てはまるだろうかともやもやしながら、雑誌をぱらぱらと捲り、あるページに開き癖があるのに気付いた。よくよく見ると、ページの端が折れており、一目で兄の好みの女性が載っているのだと気付いた。
「………っ!!!!」
その女性の写真を見て、カレンは一瞬息を飲んだ。
体はぶるぶると震え、肌は青ざめ、額に血管が浮き上がってくる。
雑誌を握り締めて、カレンは暫くその場に立ち尽くした。
「…ぷはーっ…ひでぇ目に会った…」
全身についた土埃を払いながら、ゼノスは玄関のドアを開けた。
商店街の方でフリーバトルに参加する戦士たちが揉め事を起こしただとかで、朝早くから呼び出され飛び出して既に3時間は経つ。仲裁役にと引っ張り出されたのに、結局は取っ組み合いの喧嘩になってしまった。最初は何とか宥めようとしたゼノスだったが、頬に一発貰ってぷっちりキレてしまい、最終的には2人とも伸してしまったのだった。
頬を摩りながら洗面所に向かい、水を口に含んでもにゅもにゅと動かし吐き出してから、自室へと向う。流石に服が汚れてしまったので着替えて洗濯しようと思ったからだ。居間にも何処にもカレンの姿が無いので買い物か薬草取りか、兎に角家を空けているのだろうと思い、汚れた服を脱ぎつつ自室のドアを開け、そこでゼノスの時が一瞬止まった。
「……ぇ……あ……カ、カレン…!?」
口から声を絞り出して、そして凍りつく。
何故なら、今まで必死に隠してきた(しかし実はモロバレである)物を、見られたくない人物にバッチリ見られてしまっていたからだ。その白く細いたおやかな指にそぐわないものを両手に持って、ぶるぶると小さく体を震わせている。
健全な成人男性として、そういった生理的欲求は極自然な当り前の事だとしても、そんな事は女であるカレンに解ろう筈が無い。ましてやカレンは清純で清楚な淑やかな女性なのだ。(と、ゼノスは思い込んでいる)
一体、どうやってこの場を切り抜けようかと、オロオロと視線を彷徨わせていると、
「…兄さん。お話があります」
と、カレンの口から底冷えするような低い声が零れた。
「…うぇっ? な…な、んだ?」
間抜けな声をあげて返答するも、ゼノスの頭の中は、逃亡策を何とか捻り出そうと懸命に足掻いている。
「…これ」
ビシッと目の前に突き出されたのは、下着すらまともにつけてない綺麗なオネーさん達のあられもないお姿。
「…うっ…!!」
じっと厳しい表情で見上げてくる妹の視線が痛い。
そりゃあもう、剣で斬られたとか、ぶん殴られたとか、そんなレベルの痛みでは決して無い。
――なんだ、憐れみ? 蔑視? 軽蔑…嫌悪!? ああー! 兎に角、いてぇっ!!
全身を、細く鋭利な金属針で隙間なく滅多刺しにされてる気分だった。
――そんな目で兄ちゃんを見るな! 兄ちゃんは変態でもスケベでもないぞ!…多分…
刺された傍から尚深く刺し込んで来る視線の痛さに、ゼノスはよろりと後方に半歩下がった。冷汗が、どっと滝のように流れていく。
――ぐああっ!! 兄ちゃんだって男なんだよ! 正直言えば、女の裸好きですごめんなさい
永遠に続くかと思われた、激痛を伴う沈黙の中、カレンの小さな溜息だけがやけにハッキリと響いた。
「…ちょっと、兄さん、其処に座って」
ビシッと床を指差され、ゼノスは1も2もなく床に慌てて正座した。
気分は既に、悪戯を見咎められた子供か、粗相をしでかした犬のようだ。
「あのね。兄さんが、こういう雑誌を読んでるからって怒ってるわけじゃないの」
「…へ?」
てっきり、兄さんの不潔! と怒鳴られるかと思いきや、意外なカレンの発言にゼノスは間抜けな声をあげた。
「…問題は其処じゃあないの。これよっ!!」
カレンが突き出したエロ雑誌の見開きページ、しかもゼノスのお気に入りを示す端っこが折れたそのページを目の前に突き出される。
「????」
「…このページ、兄さんのお気に入りでしょう?」
眉をピクリと引くつかせながらカレンが指差すその先には、黒髪のショートヘアでまだあどけなく、体つきも表情も何処か中性的な少女が足を開いて寝そべっている姿が印刷されていた。
「…う”っ…」
声を詰まらせ、ゼノスは顔を見る間に赤くするとパッと俯いた。
「…おかしいわよね。いつから兄さんの好みは、金髪ロングヘアー巨乳の女の人から、黒髪ショートヘア貧乳の女の子に変わったのかしらぁ?」
バクン、と、ゼノスの心臓が大きく脈打つ。
「…まぁ、一時期はブラウンでも、やっぱり、ロングヘアーで巨乳の女の人が好きだったこともあるみたいだけど…それにしたって、どっちも似つかないわよねぇ?」
敵の追及は果てしなく厳しい。
言葉こそ優しい落ち着いたものではあったが、カレンの声音は低く有無を言わさぬ得体の知れない迫力に満ち溢れている。
カレンの指摘にゼノスの頭はパンク状態で、どうして昔自分がパツキン美人が好みだったとか、一時期ブラウンのふくよかな女性に憧れていた事もあったとか、そういう事を何故カレンが知っているのか? という事まで頭が回らない。ただ、喘ぐように呼吸し、心臓がバクバクと音を立てているのを聞いている他なかった。
「…似てるわよねぇ…」
ボソッとカレンが呟く。
「…っ…そ、そのっ…趣味が変わっただけだろ。ほら、昔から可愛い子好きだし!」
「…へぇ? 変わったの?」
「そうそう。そんな事もたまにはあるさ!」
「カーマインさんに会ったから?」
「そうそう、カーマインに会ったから……って!! えぇええっ!?」
思わずウッカリとカレンに乗せられて吐露してしまい、ゼノスは慌てて首と両手を振った。
「…ち…ちが、ちちちちが…おま、何言ってんだ…断じて、違うぞっ!!」
「乳が? 無い方が好みなのね。ブルネットのショートヘアーで、乳がまっ平なのが好みなのね!?」
凍りついた笑顔でにじり寄る妹の顔は怖かった。
何せ、口元は引き上げられているのに目が…目が笑ってない! 正に般若の如き形相で、ゼノスは慌てて後退った。もしゼノスに犬の耳と尻尾が生えていたなら、間違いなく耳は項垂れ、尻尾は情けなく股の間に入っていただろう。カレンが一歩、また一歩と足を踏み出すたび、踏みしめた床板が石化していくような錯覚さえ覚えた。
「…ち、違うっ! カレンは、兄ちゃんをホモだと思っているのかっ!?」
情けなくも最後の抵抗を試みるが、
「ホモというよりは、節操なしね」
無残に切り捨てられ轟沈!
――ああ、そうだよ、兄ちゃんは…兄ちゃんは足を踏み入れちゃいけない領域に足を突っ込んじまった…!
あうあうと、口だけをパクパクと動かしながらゼノスは項垂れた。
此処まで来たら隠し通せない。いつの間にかカーマインに惹かれ、恋をしてしまっていた事。
しかし、そんな思いは口に出せず、ついカーマイン似(此処最重要)の女の子が載ってるからその雑誌を購入してしまったこと、更にそのカーマイン似の女の子の写真見ながら、ほにゃらら〜致してしまった事。全て、事実だった。
「…認めるのね?」
「………」
ゼノスは項垂れたまま、一回だけ首を小さく縦に振った。ふぅ、と小さな溜息が耳に届く。
「…兄さんが、このカーマインさん似の女の子で想像しながら抜くのは許すけど、もう金輪際彼には近付かないで」
カレンの口から零れた言葉は、ゼノスにとって死刑宣告に近かった。
「近付かないでって、どーいう…」
「パーティに入らない、偶然を装って会いに行かない、グランシルに彼が来てもドアを開けない」
「おい、ちょっと待て、カレン! パーティに俺を入れるかどうかはカーマインの決める事だろ!?」
「兄さん! 兄さんは、以前、私の幸せが自分の幸せだって言ったでしょう?」
「…お、おぅ…」
「だったら…邪魔をしないで。私の幸せのために!!」
カレンは眦をキッと上げて、声高々にそう言い切った。
何せ、カーマインは偉く女の子に人気がある。あ、いや、女の子だけじゃなく男にも人気があるのが頭痛の種だが。
ルイセちゃんなんか、義妹という立場を逆手にとっていつも一緒だし、しかも妹萌えキャラを地で行ってるじゃない! あの甘えん坊な性格やピンクの髪なんて普通ありえない、狙いすぎでしょぉー!(カレンも妹キャラなのだがその自覚は薄いらしい) ミーシャちゃんだって…何あれ、ドジっこ属性だけでもマニアには涎なのに、更に三つ編み眼鏡って…! そばかすがないだけマシだけど、明らかに狙ってるわよね!! ジュリアンさんは男装してた時から美人だし、サラシ巻いて胸潰してたくせに、私とバストサイズが同じってなんなのよー!! 何の陰謀ー!? しかもカーマインさんにメロメロっぽいし、瞳なんか潤ませちゃってギャップに弱い人だったらどうするのよ……!! あ、でも…自分より背の高い女なんて、きっと嫌よね。ウン。あああ!! でも、カーマインさんはあんなに強くて素晴らしい騎士様だから、もしかしたらレティシア姫の婿候補No.1だったりして…だったら、勝ち目ないじゃない〜〜!! だって、お姫様なのよぉおおおぉおおおぉおお〜〜〜!!(カレンの苦悩此処まで2秒)
しかし、女性陣よりも問題なのは寧ろ兄さんの方だわ!! ウォレスさんは良識ある大人の人だから過ちは犯さないでしょうし、アリオストさんもカーマインさんと仲が良いけれど、ミーシャちゃんに惚の字なのは火を見るより明らかだから安全パイだけど…兄さんは違う。兄さんはヤバイ。普段は脳みそまで筋肉バカってみんなに思われてるし(仕方が無いわよね。事実は覆せないわ…)ヘタレだけど、キレちゃった時の爆発力は侮れないのよぉお!! 兄さんの勘違い&早とちりは既に免許皆伝クラスだし!! うっかり自分に気があるなんて思い違いをして、カーマインさんに襲い掛かったりでもしたら…
――ああっ…
恐ろしい…想像するだに恐ろしいわ!! 幾らカーマインさんが強くても、兄さんに比べたらまるで月とすっぽんくらいに体格差があるんですもの…逃げられない…あっという間に組み敷かれて押し潰されちゃうわ!! それで、あ…あーんな事や、こ…こーんな事までされちゃって…うぅうっ…そっちの道に目覚めちゃったら、もう私の魅力でも引き戻せない…!!!(カレンの苦悩此処まで3秒)
「に…兄さんの、ケダモノぉおおおおお〜〜〜っ!!!」
目尻に涙を浮かべながら、カレンはゼノスをキッと睨みつけた。どうやら、カレンの頭の中では野獣になったゼノスにカーマインが襲われる所まで行き着いてしまったらしい。
「…何で、ケダモノ扱いだよっ!!」
一瞬ポカンとしていたゼノスだったが、余りにもな言われように、カッと来て立ち上がった。
「いやいや!! 兄さんの不潔っ!! これ以上、カーマインさんに近付かないでっ!!」
「だから、それはあいつが決める事だろうがっ!!」
元々、気の長い方ではないゼノスも流石にムッと来ていたらしく、米神が僅かに引き攣っている。
「私と兄さん、どちらを選ぶかなんて簡単なことよ。だって、私は遠距離攻撃も出来るし、何てったって白衣の天使。戦場で傷付いた彼を優しく癒してあげるの…」
「カーマイン、ヒーリング持ってんじゃ…」
ガコッ いらぬツッコミに鉄拳制裁宜しく、カレンの巨大救急箱の角がゼノスの顔にクリーンHIT
「猪みたいに突っ込むしか能の無い兄さんと比べて、私は回復魔法も補助魔法もバッチリ会得済みだし、おまけに攻撃魔法も使えるんだから、私の方が役に立つわ!」
妹の背後に吹き荒れる猛吹雪。
「おお。言ってくれるじゃねぇか。回復や補助なんてルイセ一人いりゃあどうとでもなるんだよ。それよりも重要なのは攻撃力だろ? お前に、体張ってカーマインを守る事が出来んのか?」
負けじと、(垂れた鼻血を拭きつつ)兄の背中から立ち上るは、シャドー・ナイツ時代に身に付けたどす黒いオーラ。
もしカーマインがその場に居たら、100年の恋も冷めてしまうだろう形相で、互いにメンチきりあう兄妹の姿が其処にあった。
「…だから、邪魔しないでって言ってるの。足も遅くて弱っちぃ兄さんなんて御呼びじゃないのよ。フィア、スロー、バインドかけて、ブリザードとソウルフォース交互に100発かますわよ?」
「…ほう、やってみろ。詠唱終わる前に、腹に重いのぶちかましてやらぁ。俺との間合いを考えて言えよな?」
うふふ…
ははは…
空々しいまでの乾いた笑いが部屋中に響き渡った。
「兄さんより、私の方を選んでくれるって信じてるもの!」
「よし、じゃあ、こうしようぜ。カーマインがお前を選んだら俺は身を引く。だが、俺をパーティに誘ったら…そんときゃ遠慮しねぇ。これで恨みっこなしだ、いいな? カレン」
「…じゃあ、私と兄さんはライバル同士って事?」
「ああ、そうなるな。ライバルだ」
「遠慮しないわよ!」
「こっちこそ!」
こうして。本人(カーマイン)の預かり知らぬところで、壮大な兄妹喧嘩の幕が切って落とされた。
勝利の女神は一体どちらに微笑むのか…カレンか、それともゼノスか…
だが、しかし。
「…一緒に戦ってくれないか? ジュリア」
「…はい。(マイロード)喜んでお力添え致します」
僅かに頬を染めた女性初のインペリアルナイト―ジュリアンが、最後のパーティ枠を埋めていた事を2人は知らない。
「ジュリアンさんなら、リーチも長めだし足も速いし、補助も使えるし、何てったって強いもんね♪」
とは、ルイセの評価。
…ああ、もう…何ていったらよいのか。兎に角、ラングレー兄妹が真っ黒で生々しいですごめんなさいorz
個人的に、女の裸好きですと認めてる兄さんが正直ですk…ぼぐっ( ゚∀゚)=◯)`Д゚)・;'